2015/12/18

屹立する地方紙

   

◆左から、順に「山形新聞」11月27日、「北海道新聞」11月30日夕刊、「西日本新聞」11月27日夕刊。

 新聞と言うと、全国紙の五紙(読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞、産経新聞)の名前くらいは誰でも知っているだろうが、何百万部も出ている日本の全国紙(2015年、概算で、読売新聞912万部、朝日新聞680万部、毎日新聞328万部、日本経済新聞273万部、産経新聞161万部)というのは、世界的に見ても極めて特殊な存在であるということは意外に知られていない。

 ヨーロッパでも、米国でも全国で販売されている新聞は少ないし、発行部数も多くはない。ある一定の地域で発行されているのが、地方紙と呼ばれる新聞だが、海外では多くの国で地方紙のほうが発行部数は多いのである。

 たとえば、フランスで有名な新聞と言えば、「ル・モンド」とか「フィガロ」という新聞(全国紙)があるが、最大発行部数の新聞は、フランス西部(ブルターニュ地方)で出されている地方紙「ウエスト・フランス」(78万部)である。ドイツでも地方紙のほうが発行部数が多いし、世界的に名前が知られている「フランクフルター・アルゲマイネ」とか、「南ドイツ新聞」も名前からして「地方(地域)」の名前がついている。

 米国では、全国紙というと「ウォール・ストリート・ジャーナル(200万部)日本版]と「USAトゥディ(180万部)がある。しかし、世界的に有名なのは「ニューヨーク・タイムズ」とか「ワシントン・ポスト」という地方名のついた地方紙だし、各地域で圧倒的に読まれているのは地方紙のほうである。

 さて、日本には、全国紙のほかに、ブロック紙と呼ばれる領域をまたがって読まれている新聞がある。ブロック紙は、三紙北海道新聞中日新聞西日本(にしにっぽん)新聞が知られているが、中日新聞東京本社発行の「東京新聞」、宮城県(東北地方)の「河北(かほく)新報」、広島県(中国地方)の「中国新聞」もブロック紙に含める場合も多い。

 そして県ごとに出されているのが県紙である。発行エリアが一府県の全域にわたる新聞を指す。多くは第二次世界大戦下の「一県一紙」統制時に多数の新聞を統合してその県の唯一の地元紙として成立した新聞である。

 地方紙は、全国紙のように全国各地域に支社が置かれているわけではないので、全国ニュースや芸能情報、文化情報は、ニュース配信の通信社共同通信社時事通信社の配信記事を利用している。記事を利用しても記事の「見出し」や掲載方法は、それぞれの新聞が独自に行っている。そこにある意味で地方紙の独自性がうかがわれるのである。

 今回、なぜこのような話をしたかといえば、先月末から今月初めに私の執筆した「原節子・追悼」原稿が、共同通信文化部を通じて地方紙に配信され掲載されたからだ。共同通信から掲載紙がまとめて送られてきて、あらためて各紙の掲載記事を見ていて、非常に興味深かった。むろん、配信通り(「原節子が表現したもの 『一人でいる自由』貫く」)に「見出し」を使っているところ(写真左=山形新聞、同右=西日本新聞)が多いのだが、独自の「見出し」を使っている新聞があって、「なるほど」と思わされたのである。

 たとえば、「北海道新聞」の見出しは(写真中央)、「運命への『拒否』貫く 伝説の女優・原節子を悼む」となっているし、「神戸新聞」の見出しは「運命を拒否する強い意志」、「山梨日日新聞」は「運命への『拒否』を体現」、「東奥日報」は「『一人の自由』貫く 原節子さんを悼む」、「京都新聞」は「女が一人でいる自由貫く」、「信濃毎日新聞」は「『自由』貫き『伝説』に」となっている。地方紙それぞれの記者が、配信記事にも独自性を持たせようとしている意識がうかがえて、非常に面白かった。

 今や、全国紙は均質な報道ばかりで、面白みもなく独自性もないが、地方紙は、独自の立場から誇り高く屹立している感じがするこのごろである。

桜井哲夫

2015/12/16

学部創設のころ




 16日までの1週間、進一層館でパネル展示を行いました(写真左)。「コミュニケーション学部20年のあゆみ 1995→2015」展です。

 実際には開設2年前から1995年までが展示の中心です。学部開設準備から開設までの労苦を共有したいと思ったからです。もっとも、私自身が知りたかったことが大きいのかもしれません。

 さて、その展示の一画「学部開設記念式典」の記事の脇に、S.Kさんがコメントを貼ってくれました(写真右)

「新人職員の頃、コミ部の申請業務に携わりました。和太鼓のコンサートも思い出に残っています。コミ部20周年、おめでとうございます。」

 その節はお世話になりました。あらためてお礼申し上げます。
川浦康至
 本日終了。今回の企画で、動線やパネルの配置といった展示学を学びたくなりました。念のため、と検索したら、学会まであるんですね。日本展示学会

2015/12/15

音なき音、みえない形を音にするワークショップ

 表現と批評 「マジ(本気!)を起動するワークショップデザイン」
この講義枠はじめての、音系ワークショップです!
日時:12月17日(木曜 4限&5限)

音なき音、みえない形を音にするワークショップ
「Sonify! Audify! Musify! ―世界を感受する<私>―」

ゲスト講師:野口 桃江 さん  作曲、インスタレーション、即興パフォーマンス
http://www.momokonoguchi.com/CV
( エレクトロニクス協力 : 川端渉 / Dum6 Sen5e http://dum6sen5e.com

2015/12/09

「場所の記憶と生きること」をめぐるノート

さて、前回のポストから2週間が経ちました。小金井アートスポットシャトー2Fを訪問した際の様子についてはここでお知らせしましたが、今回はその第2ラウンドの紹介です。

小金井で宮下さんからお話を伺ったあと、授業では自分が生活してきた空間/地域を自分や友人たちがいかに使ってきたのか、もしくはド・セルトー風に言えば流用(appropriate)してきたのかを、実際に画用紙におこしながら議論を続けてきました。この形式での実習はチャレンジングかなという不安もあったのですが、これほど学生に自分から嬉々として話してもらったという経験は初めてでした。実際には、この課題に取り組む過程で話される一つ一つのエピソードは、誰もが経験したようなテーマです。「子どもの頃遊んでいた場所」、「子どもには立ち寄り難い場所」、「家庭空間の変化」、「街並みの変容」といったように。けれども、その個々には素朴なエピソードのなかに、私たちが日々を過ごすうえで重要な気づきが含まれていました。


写真 1 福生の記憶を書き込む
写真 2 学生の発表の様子
今回は宮下さんに東経大に来て頂きました。まず、前回の論点に加えて、具体的には香港の九龍地区の集合住宅などを事例として紹介しながら、「空間の共有」という可能性を検討しました。その後、受講生が作成してきた「公/私」を軸とした空間感覚の変容が描かれた地図や間取り図に、トレーシングペーパーを使って、新たな情報を書き加えていきます(写真 1)。この過程からは、場所を通じて共有された記憶が、個人の私的な記憶に強い影響力を及ぼしていたことが分かります。例えば、福生の異なる地域で子供時代を過ごした2人の制作物とプレゼンテーションからは、米軍基地という巨大な公的空間を記憶として共有しながらも、基地からすれば些細な地理上の変化が、同じ空間に対する認識のズレを生じさせたことが分かりました。
また、残念ながら時間オーバーで最後まで発表できませんでしたが、「視覚的」に場所の記憶を書き込んでいくことで、次第に「聴覚的」な場所の記憶を取り戻す学生もいました。つまり、京王線沿いで育ったことで、彼女が街を生きる経験と電車の通過音は切り離せなくなっていたにもかかわらず、ある時期から路線が地下に潜り電車の音が消えたことで眠れなくなったと。つまり、音を通じて街の変容を感じる、サウンド・スケープ的な観点からも興味深い物語が披露されました。

この授業の後半戦では、もう一つの文化施設のサポートを受けながら授業を進めますが、この感覚が小金井の良さのような気がします。もちろん、こういった発表を促したのは、宮下さんの経験や魅力に負うところが大きいのですが、一方でアートフル・アクションというNPOであり、シャトーという場が小金井を生きるスケール感を維持しているからこそ、上述のような観点で地域と向き合えるのだろうと。この数年、特に文化や芸術は地域振興の重要なコンテンツとして議論されることが多かったのですが、そこに決定的に欠けていたのは、「日々を生きる」ことそのものなのだという点を改めて認識させられるものでした。

2015年度II期「データ調査/分析ワークショップ」は、東京経済大学の「進一層トライアル」に採用された教育プログラムです。


2015/12/01

【学問のミカタ】サンタクロース

クリスマスといえば、サンタクロースの贈り物。子どもの頃は楽しみだったし、親になってからは子どもに何をあげようか、考えたりもした。しかし、もうずいぶん前から、そんな行事とも縁遠くなっている。わざわざケーキを食べ たりもしなくなった。むしろ、Xマス商戦を当てこんだメールやテレビのCMにうんざりすることの方が多い。

 サンタクロースは消費社会が作りだした広告マン。愉しく過ごす人たちには嫌みに聞こえるかもしれないが、これは実感としてだけでなく、歴史的にも本当の話のようだ。

 クロード・レヴィ=ストロースと中沢新一による『サンタクロースの秘密(せりか書房)という本がある。もう20年も前に出されたものだ。レヴィ=ストロースの本はそれほど読みやすいものではないのだが、ページ数も少なく、字も大きいから、読みはじめたら数時間で一気に読み終えることができる。「あー、おもしろかった」。そんな読後感を味わえた一冊で、読んだ時にはXマス・プレゼントをもらった気がした。

 1951年にフランスでサンタクロースを処刑するできごとがあったそうだ。仕掛けたのはカトリック教会で、その理由は、キリストとは何の関係もないサンタクロースに、Xマスが乗っ取られるのではという危機感だった。

 赤い服を着たサンタクロースはコカコーラが作りだしたキャラクターで、親がサンタに扮装して子どもにプレゼントをする習慣も、第二次大戦後にアメリカから入ってきたものだった。しかも、このような危機感は、生活のあらゆるレベルで多くのフランス人に共有されていて、「アメリカ化」に対する恐れや反発として取りざたされてもいた。

 Xマスはキリストの誕生を祝う教会の祭で、ローマ・カトリック教会が広めたものである。しかし、その祭のもとは、一年で一番陽の差す時間の短い「冬至」の日にヨーロッパ各地で行われていたものだという。昼間の長い季節は「生きる者の世界」。しかし、夜が長くなる季節には生命のエネルギーは衰えて、冬至の日には「死者」たちが「生の世界」に戻ってくる。だから昼間を取りもどすために「祭」をして、その死者達を迎え、慰め、礼を尽くして送りかえさなければならない。

 大事な役割をするのはどこでも子どもや若者たちだったようだ。たとえば、「鞭打ち爺さん」があらわれて悪い子どもを懲らしめて回る。あるいは子どもたちが家々を回って歌を歌ったり騒いだりして、お金や食べ物をもらう。さらには若者たちがらんちき騒ぎをし、暴れ回ることが許される日。子どもや若者が主役になったのは、彼や彼女たちが「生きる者の世界」ではまだ半人前であったからで、「冬至の祭」にはイニシエーションの儀式という意味あいもあった。

 ローマ・カトリック教会はキリスト教の布教と信仰心を強めるために、この「冬至の祭」をキリストの誕生を祝う「Xマス」に「変換」した。一説ではキリストは夏に生まれたのだというから、「死」から「生」への復活を願う気持をキリストの誕生に重ねあわせたのは、計算づくのしたたかなアイデアだったというほかはない。その重要な虎の子の伝統がアメリカからやってきた赤いサンタクロースに踏みにじられたのだから、教会の怒りや危機感は容易に察しがつくというものである。

 もっとも、サンタクロースの処刑は実際には、かえってその価値を高める結果をもたらすことになる。表向きでは「アメリカ化」に反発していた人たちも、その物質的な豊かさ、便利さ、楽しさには無意識のうちにすっかり虜になってしまっていたから、クリスマスの行事はますます派手でにぎやかなものに変質していくことになる。

 サンタクロースはクリスマスを、生と死ではなく「生きる者同士」のプレゼントの交換という形に「変換」した。死の世界を封じ込め、あるいは忘却する。「アメリカ化」が果たした最大の意味はここにあるとレヴィ=ストロースはいう。もっともそれで教会が衰退したわけではない。キリスト教も教会もまたサンタクロースを利用して、死の世界よりは生の世界に力点をおいたスタンスに「変換」したからである。

 ところで、この「サンタクロース論」はレヴィ=ストロースがまだ無名の頃に書いたもので、サルトルが注目して、自ら主幹する雑誌に掲載したものだという。「実存主義」と「構造主義」の戦いの出発点。むずかしい「構造主義」を一番簡単に理解できる論文であることとあわせて、「構造主義」を知る第一歩として勧めたい一冊である。「贈与論」を中心にした中沢新一の解説もまた、わかりやすくておもしろい。

 日本人にとってクリスマスとは何か。進駐軍が残したもので、キリスト教とは縁遠いにもかかわらず、サンタクロースもプレゼントもすっかり定着した。なぜ?などとは考えず,楽しければ無批判に受け入れる。そんな風潮は相変わらずで、最近ではハロウィンの仮装が流行りはじめている。これがケルトに起源がある収穫祭であることを知っている人は、いったいどれほどいるのだろうか。
渡辺潤