グローバルキャリアプログラム(豪州)のご案内
東経大には、5ヶ月間の海外研修プログラム、「グローバルキャリアプログラム」があります。行く先はオーストラリアか中国ですが、トケコミ学生ではオーストラリアが人気で毎年5名前後の学生が選抜されて研修に参加しています。
熱心に取り組めば、研修後にTOEICでは670〜700点、そこからもうひと頑張りすれば卒業時に720〜750点というのがこれまでの学生の英語力の目安になります(もっと上の人もいます)。この程度まで達していれば新卒入社時に海外とやるとりする部署でもつとまりますので、さらに実地で力をつけていけます。特徴は以下です。
●研修先大学の授業料を大学が負担します
大学が入学金、授業料、保険料など約120万円(昨年度の実績)を負担します。学生自身の負担額は76万円(同じく昨年度の実績)。個人負担の主な内訳は、教材費、往復航空運賃、滞在費(ホームステイ)、ビザ申請料です。
●休学不要、4年間で卒業できます
研修先で取得した20単位が卒業要件に含まれるからです。
●現地での充実したサポートを用意しています
現地事務所には日本語堪能なスタッフが常駐します。
●留学前後のフォローも万全です
1年次から2年次前半まで事前学習、2年次の8月から12月まで海外研修、帰国後は事後学習。行き放しのプログラムではありません。4ヶ月半の語学研修を経て、最後2週間はインターンシップを行ないます。
募集人員は全学部で20名。
募集は1年次11月に行ないます。
やや詳しい情報
2015/09/18
2015/09/02
『レジャー・スタディーズ』合評会のお知らせ
7月に発行された『レジャー・スタディーズ』(世界思想社)の出版を期して、合評会を開きます。
評者として以下の方々にお願いをしました。執筆者の多くも参加をします。
今なぜ「レジャー」に注目する必要があるのか、活発な議論を展開していただきたいと思います。このテーマに関心のある方の参加を歓迎いたします。
日時:9月12日(土)2:00p.m.〜5:00p.m.
場所:東京経済大学 2号館 B206教室
評者:浮田千枝子(帝京平成大学)、辰巳厚子(余暇ツーリズム学会)、今井祐之(東京藝術大学大学院)、川浦康至
評者として以下の方々にお願いをしました。執筆者の多くも参加をします。
今なぜ「レジャー」に注目する必要があるのか、活発な議論を展開していただきたいと思います。このテーマに関心のある方の参加を歓迎いたします。
(渡辺潤)
日時:9月12日(土)2:00p.m.〜5:00p.m.
場所:東京経済大学 2号館 B206教室
評者:浮田千枝子(帝京平成大学)、辰巳厚子(余暇ツーリズム学会)、今井祐之(東京藝術大学大学院)、川浦康至
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散会後に大学近くで、簡単なパーティを予定しているようです。2015/09/01
【学問のミカタ】月は媒体(メディア)
9月の学部コラボテーマは「月」。
今回は「広告論」担当の関沢英彦がお届けします。題して、「月は媒体」。
テレビドラマの『恋仲』(フジテレビ系列)は、高校時代、互いに初恋の人であったふたりが7年ぶりに再開するという物語でした。その2回目でしたか、ベランダの向こうの月を眺める男性主人公(福士蒼汰)の後ろ姿、続いて、自分のアパートから月を見つめる女性主人公(本田翼)というシーンがありました。
おやおやと思いました。なんと古典的な、ということで。思いを寄せるふたりが、月を媒体にして、コミュニケーションをしているのです。「いまごろ、月を見ているかな。きっと見ているよ」と互いに感じる瞬間。恋するふたりには、そうしたシンクロニシティ(意味ある偶然の一致)があるのでしょう。
1300年前も、月の姿は変わりません。万葉集第7巻には、「この月の ここに来たれば 今とかも 妹が出で立ち 待ちつつあるらむ」という歌があります。月の姿を見ながら、ああ、あなたも、外で月を見ながら、いまかいまかと、わたしの到着を待っているだろうな、というのですから、まさに月を仲立ちにして、ふたりの心は通じ合うのです。
スマホで数分ごとに言葉をつらねても、気持ちがすれ違うこともある。久しくひとことも交わさないでいても、いま、あの人も満月を見ていると信じられてしまう。コミュニケーションとは、ふたりの間をつなぐ伝達経路よりも、その両端にいる人と人のありように左右されるのでしょうか。すっかり秋めいた夜にそんなことを思います。
来月は阿部弘樹がお届けします。
今回は「広告論」担当の関沢英彦がお届けします。題して、「月は媒体」。
テレビドラマの『恋仲』(フジテレビ系列)は、高校時代、互いに初恋の人であったふたりが7年ぶりに再開するという物語でした。その2回目でしたか、ベランダの向こうの月を眺める男性主人公(福士蒼汰)の後ろ姿、続いて、自分のアパートから月を見つめる女性主人公(本田翼)というシーンがありました。
おやおやと思いました。なんと古典的な、ということで。思いを寄せるふたりが、月を媒体にして、コミュニケーションをしているのです。「いまごろ、月を見ているかな。きっと見ているよ」と互いに感じる瞬間。恋するふたりには、そうしたシンクロニシティ(意味ある偶然の一致)があるのでしょう。
1300年前も、月の姿は変わりません。万葉集第7巻には、「この月の ここに来たれば 今とかも 妹が出で立ち 待ちつつあるらむ」という歌があります。月の姿を見ながら、ああ、あなたも、外で月を見ながら、いまかいまかと、わたしの到着を待っているだろうな、というのですから、まさに月を仲立ちにして、ふたりの心は通じ合うのです。
スマホで数分ごとに言葉をつらねても、気持ちがすれ違うこともある。久しくひとことも交わさないでいても、いま、あの人も満月を見ていると信じられてしまう。コミュニケーションとは、ふたりの間をつなぐ伝達経路よりも、その両端にいる人と人のありように左右されるのでしょうか。すっかり秋めいた夜にそんなことを思います。
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来月は阿部弘樹がお届けします。
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