今回は「広告論」担当の関沢英彦がお届けします。題して、「月は媒体」。
テレビドラマの『恋仲』(フジテレビ系列)は、高校時代、互いに初恋の人であったふたりが7年ぶりに再開するという物語でした。その2回目でしたか、ベランダの向こうの月を眺める男性主人公(福士蒼汰)の後ろ姿、続いて、自分のアパートから月を見つめる女性主人公(本田翼)というシーンがありました。
おやおやと思いました。なんと古典的な、ということで。思いを寄せるふたりが、月を媒体にして、コミュニケーションをしているのです。「いまごろ、月を見ているかな。きっと見ているよ」と互いに感じる瞬間。恋するふたりには、そうしたシンクロニシティ(意味ある偶然の一致)があるのでしょう。
1300年前も、月の姿は変わりません。万葉集第7巻には、「この月の ここに来たれば 今とかも 妹が出で立ち 待ちつつあるらむ」という歌があります。月の姿を見ながら、ああ、あなたも、外で月を見ながら、いまかいまかと、わたしの到着を待っているだろうな、というのですから、まさに月を仲立ちにして、ふたりの心は通じ合うのです。
スマホで数分ごとに言葉をつらねても、気持ちがすれ違うこともある。久しくひとことも交わさないでいても、いま、あの人も満月を見ていると信じられてしまう。コミュニケーションとは、ふたりの間をつなぐ伝達経路よりも、その両端にいる人と人のありように左右されるのでしょうか。すっかり秋めいた夜にそんなことを思います。
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来月は阿部弘樹がお届けします。
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