2016/09/28

追加講義「新海誠の世界」のお知らせ

小説『君の名は。』角川文庫

 コミニュケーション学部前期科目「表現と批評2016-3」と「日本アニメーション文化史」の追加講義を行います。
 本学学生であれば、誰でも受講できます(単位とは関係ありません)
コミュニケーション学部教授 桜井哲夫

「新海誠の世界」

 8月26日に劇場公開され、1ヵ月間で興行収入111億円(興収歴代20位)、観客数850万人を突破した新海誠監督の『君の名は。』の大ヒットを受けて、新海誠の作品世界を見て行きます。
  • 日時 10月3、17、24日(月曜日)16時半から、集まり次第上映
  • 会場 4号館D101教室  
(1) 10月3日(月曜日)
ほしのこえ2002年 25分
  パソコンを用いて新海誠一人で作ったデジタルアニメとして世界中に衝撃を与えた作品。新海誠のデビュー作品。第6回文化庁メディア芸術祭特別賞、第34回星雲賞【メディア部門】、第8回AMD Award Best Director賞。
言の葉の庭2013年 46分
 『君の名は。』の前作にあたる。ヒロインの雪野先生は『君の名は。』のなかで、ヒロイン宮水三葉の高校の古典の教員(ユキちゃん先生)として出演していることで知られている。iTunes Store「iTunes Best of 2013 “今年のベストアニメーション”」 。ドイツ シュトゥットガルト国際アニメーション映画祭 (ITFS) 長編映画部門最優秀賞。

(2) 10月17日(月曜日)
秒速5センチメートル2007年 63分
 アジア太平洋映画祭アニメーション映画賞受賞、イタリアのフューチャーフィルム映画祭 「ランチア・プラチナグランプリ」(最高賞)

(3)10月24日(月曜日)
雲の向こう、約束の場所2004年 91分
 第59回毎日映画コンクールアニメーション映画賞(宮崎駿「ハウルの動く城」を押さえての受賞)

2016/09/19

海外ゼミ研修制度


 東経大には海外ゼミ研修という制度があります。

 私も、これを利用して、何度か韓国を訪問しました。その行程には、いつも大田市にある培材大学の訪問を入れるようにしています。培材大学は、東経大の協定校(学生交換留学を行っている大学)です。

 今年は、9月5日から9日までの日程で訪韓しました(大田とソウル)。このあと、韓国はお盆(秋夕、チュソクに入ります。

 培材大学では、授業に参加したり、学生にインタビューしたり。ゼミの研究発表をした年もあります。ある年は誕生日について発表しました。

 その中で、ある学生が、(自分の)一人誕生日のようすを再現ビデオで報告しました。暗くなった部屋でゆらゆらゆれるローソクが何とも言えず、ほっこり(本人は涙していたのかもしれません)

 上映が終わると、突然、会場からハッピーバースデイの大合唱。予想外の展開に、本人はもちろん私もビックリ。ステージから降りた彼には学生たちから祝福の声がかかりました。

 ソウル市内で、これまで行ったことのある場所を二、三ご紹介します。

金大中図書館。ノーベル平和賞を受賞した彼の評価は分かれるようですが、人生をかけての民主化は壮絶以外の何ものでもありません。当然ながら、日本語で書かれた生の資料も多く展示されています。

清渓川(ちょんげちょん)。生活排水を流す川にすぎなかった清渓川。高架道路がその暗渠となった上を走っていました。それが老朽化したため、道路を作り直すか、川を復元させるかが議論に。2002年の市長選挙で、清渓川の復元を公約したイ・ミョンバク市長が当選して、清渓川復元事業が始まりました。2005年10月、清渓川の復元が完了。川べりはいま散歩コース、デートスポットとして人気を集めています。

 それ以外では、国立民俗博物館梨花女子大学民俗村(水原)がお勧め。青瓦台(チョンワデ)の見学は何度か試みましたが、日程が合わず、実現していません。

外国での経験はともすると違いに注意が向きがちです。しかしながら、共通点も多くあります。それへの気づきが、学生たちには意外と新鮮なようです。



海外ゼミ研修には大学から補助が出ます。そのため、今回の学生負担は1万少しでした(飛行機代と宿泊代)

 コミュニケーション学部では、先日、大榎ゼミがアートをテーマに台湾へ。来年2月には、語学研修を組み込んだプログラムで4つのゼミが合同でマレーシアに行きます。

川浦康至

2016/09/12

古武道+ハイテク 〜上手くなる体験を可視化する



 身体表現「杖道(じょうどう)とアート」は、「上手くなることそれ自体をアートにしたい、上手くなる体験を形象化したい!」というコンセプトですすめています。
今年も月1回のペースで杖道の師匠をゲストにお迎えしてます。

古武道+ハイテク→せっかく機材や環境のそろった東経大です。一味違った稽古方法も試してみましょう。師匠たちには、ウェアラブルカメラを装着いただいて、真正面、真っ向からの杖(じょう)や太刀の動きも捉えます。→「杖道入門2016」
杖道は、関ケ原の戦いのころ創始された形武道です。なんの変哲もない棒一本を操る武道です。
優れた師範たちの身体をメディアに伝承された、無駄のない、命をやりとりする形情報を、対面で真似ぶ、繰り返し稽古して身体に馴染ませていきます。

師匠目線】


【師匠と並んで杖(じょう)を繰ってみる】



 攻撃してくる相手を、杖を回し滑らせ素早い動きで制圧します。その動き、描線が非常に美しいのです。

杖道って芸術そのものです。形(型)という情報をもった芸術です。



ここでもう一工夫。杖の両端にLEDを仕込んで光る杖の軌跡を撮ってみます。可視化してみます。


【この道40年、傘寿を迎えた師匠の本手打ち】

杖が、前へ、前へ、滑らかに繰り出されます。
【学生T君の本手打ち】

師匠の軌跡と比べるとまだまだたどたどしい。シンプルな、長さ128㎝×直径2.4㎝の杖を正しく操つることは、やってみると案外難しいものです。





11月19日(土)、『市民大学講座』第6回「古武道とアート上手くなる体験を形にする」を担います。講義の成果やエピソードなどを織り交ぜながら、内容を再構成して広く市民のみなさまにお伝えしたいと思っています。

2016/09/05

水の場所

芳賀 啓之潮社主、コミュニケーション学部客員教授)

 東京経済大学国分寺キャンパスに存在する湧き水といえば、新次郎池

 「東京の名湧水57選」のひとつに数えられ、北澤新次郎元学長の名を冠したこの国分寺崖線下の湧水池には、かつては常に清冽な地下水が注ぎ込み、ワサビ田でもあったといいますが、今日では湧き水を目にできるのは1年のうちでも限られた時期だけとなってしまいました。
 
 桜の時期から夏の盛りにかけては、大きな水溜り状態となる新次郎池ですが、8月もはじめ頃には、池の周囲に野生絶滅種とされるキツネノカミソリの橙色の六弁花をいくつか見かけることができました。

 8月、夏休みでひっそりとしたキャンパスの、さらにひっそりとした池の森には、今を盛りと咲いているクサギの甘い香りが漂い、クロアゲハが一羽、池の干上がり際にとまっていました。

 限られた期間しか湧水を見ないといえども、ここにはまだ野生がいくらか残されている。その証拠に「まむしに注意」の表示板が、池に下りる径の傍らに設えられています。

 都会の片隅に野生が辛うじて生きながらえているとすれば、人間やカラス、ネコなどの天敵の襲撃を免れ、採餌を維持し、番う相手もいて、めでたくここまで代をつないできたわけです。注連縄は蛇の交接を形象化したもので、実際のそれは27時間もほどけない情熱的なものといいます(吉野裕子『』、講談社学術文庫、1999)。蝉しぐれのなかで、「ここ」におよぶ何億年かの生命のシークエンス・ドラマを想像するとまことに不思議な気持ちにさせられます。

 ところで、都内の著名な湧水池としては、東大本郷キャンパスの三四郎池、明治神宮の清正井(きよまさのいど)、井の頭公園の井の頭池などが挙げられるでしょう。

 このうち、自然の水で涵養されているのはたったひとつ、清正井だけ。神宮の森は明治の終わりにつくられた人工の森ですが、その面積と独立した地形が雨水を集め、都心にあっても辛うじて地下水層を維持できているからなのですね。

 そのほかの池は、善福寺池や石神井公園の三宝寺池も、そうして葛飾区にある23区最大規模の水郷公園である水元公園の水ですら水源涸渇の結果、電動ポンプで地下水を汲み上げ、それを循環させて水景観を維持しています。都立中央図書館のある有栖川公園の池水も、国分寺駅前殿ヶ谷戸庭園の水も例に漏れない。寅さんの産湯となった帝釈天の水も、お参りすれば手水鉢から常に溢れているものの、それはポンプアップ水。東京の池水公園のほとんどは「電動景観」と言って間違いではないのです。

 清正井のほかに、私たちに身近なところで今なお常時豊富な水量を確認できる自然の湧水には、国分寺の真姿の池の湧水群や、国立市のママ下湧水群などが挙げられるでしょう。新次郎池は、限られた時期とはいえ池に注ぐ地下水が見られ、それ以外の時期でも池の水がすっかり涸れあがってしまうということはありません。じわじわとでも、崖(国分寺崖線)からの水は供給されています。新次郎池の湧水は、すくなくともポンプアップされた「偽物景観」ではない。けなげにも、いまだ生命を維持している湧水池というべきでしょう。

 水問題を専門とする守田優氏は、井の頭池の湧水が涸渇したのは「一九五〇年代から始まる武蔵野台地の急激な被圧地下水開発が原因である」と断言しています。つまり一般に都市化が雨水浸透域を減殺すると考えられているけれども、すくなくとも井の頭池の場合はそうではないと。深井戸を水源とする武蔵野地区の水道開発がすすみ、「水循環不全」をひきおこされた。深層の被圧地下水を汲み上げると、浅層の自由地下水にまで影響して、湧水は涸渇するというのです(『地下水は語る』、岩波新書、2012)

 翻ってわが東京経済大学の水環境を見てみれば、現在なおキャンパス内で供給される水のすべては250メートルもの地下から汲み上げる深層地下水であって、この地下水利用は赤坂葵町から国分寺町(当時)に移転してきた1946年以来70年に及ばんとしています。現在キャンパス内ところどころにおかれている「ピュア・ウォーター」機はその賜物にほかなりません。

 国分寺町にはじめて上水道システムが完成し、送水が開始されるのは1960年。町に市制が施行されるのは1964年で、1975年に水道事業をすべて都に依存するようになったとはいえ、国分寺市の供給上水量の約半分以上は今なお国分寺町が開発した水源(東恋ヶ窪と北町の2ヶ所)から汲み上げている地下水です(『国分寺水道50年』国分寺市環境部水道課、1975)

 国分寺市域に水道が普及する以前、浅い深いの差はあっても人々は基本的に井戸水ないし湧水(いずれも地下水)に全面的に依存していたわけです。

 そうして、例えば日立中央研究所(1942年創立。国分寺市東恋ヶ窪)や、リオン旧小林理研製作所。44年創立。同東元町)など、水道普及以前に国分寺市域に創設された企業は東京経済大学と同様、いまだ独自の水源を生かしているところは少なくないと考えられるのです。

 国分寺市域、そして東京経済大学の地下水揚水量などの数字を挙げるのはまたの機会として、ここでは新次郎池の「半死半生」の現状が、このような「地下水利用」と関係があるかもしれないということ、私たちがキャンパス内で使うトイレの水にも、それは関係しているかもしれないという可能性を指摘しておくにとどめましょう。

 往古「水の神」に擬され、そして今日でも私たちがその擬制から恩恵を受けている(「蛇口」)ヘビたちが、すくなくとも今世紀にわたってその生を紡いでいくことができるよう、私たちは「水の場所」を大切にしていきたいものです。



12月3日(土曜日)、市民大学講座(国分寺市との共催)で「地図と文学」を講じます。詳しくはこちらをご覧ください。

2016/09/01

【学問のミカタ】文化としての食


 飽食と飢餓

 コミュニケーション学部では「現代文化論」を担当しています。

 「現代文化」というと学生たちは音楽やスポーツ、あるいはマンガやゲームのことを思い浮かべるようですが、僕が授業で主に話すのは「衣食住」と「ライフスタイル」に関連したことです。「文化」は「カルチャー」の訳語で、その語源には「耕す」という意味があります。つまり「文化」とは、基本的には「食べる」ことを含めて、人間が生存のためにしてきた独自の工夫の集積を表すことばなのです。で、「食」も数回にわたって話すことにしてきました。

 今は飽食の時代です。飢える経験をした人は日本ではほとんどいませんが、逆に食べ残したり、賞味期限切れだと言って捨ててしまったことは誰にでもあるでしょう。日本の食糧自給率は半分以下で、毎年5500万トンの食料を輸入していますが、また年間1800万トンを廃棄しています。金額にすると11兆円で、その処理にまた2兆円を使っています。

 他方で世界には飢餓のために死亡する人が年間1500万人もいて、その7割以上が子どもだと報告されています。これは私たち日本人が「食」を考える上で、避けることのできない問題だと言えるでしょう。アフリカから始まった「MOTTAINAI」キャンペーンは世界共通語を目指していますが、肝心の日本では「もったいない」はすでに「死語」と化していると言うはかはありません。

 食と人口の爆発

 ところで、現在の世界人口は70億人を超えましたが、その増え方はどんなものなのでしょうか。

 たとえばコロンブスがアメリカ大陸にたどり着いた頃の人口は3億人程度で、その半分以上はアジアに住んでいて、4分の1がアメリカ大陸、5分の1がヨーロッパだったようです。それが3世紀後の1800年には10億人に増え、1900年には20億に達し、2000年には60億人を超えました。このまま増えていくと2050年には90億人を超え、今世紀の終わりには100億人に達すると予測されています。

 この500年で人口が24倍に増えたのは食料生産技術の進歩によりますが、それ以上に大きいのは、食料にする植物や動物が、もともと生存していた地域を越えて「食料」として世界中に広まったことによります。チャールズ・C.マンの『1493(紀伊國屋書店)は、それを「コロンブス交換」と呼び、アメリカ大陸からヨーロッパやアジアにもたらされたり、逆にヨーロッパやアジアから世界中に拡散した動植物を詳細に分析しています。

 食のコロンブス交換

 たとえば南米からジャガイモ、中米からはトウモロコシがヨーロッパにもたらされ、サツマイモが中国に伝わって、そこからさらに各地にひろがりました。これらは主に貧民層の食料として必需品になっていき、飢餓を減らし、人口を増やす原因になりました。

 またサトウキビはアジア原産ですが、適した土地がアメリカ大陸で探され、ブラジルやキューバに大規模なプランテーションが作られました。このように原産地から離れて新たな生産地が求められたものにコーヒー、カカオ(チョコレート)、バナナ、椰子などがあります。

 あるいは牛や馬、豚、羊、山羊などが家畜としてアメリカ大陸に持ち込まれてもいます。アメリカ映画を代表した西部劇には大量の牛を移送する馬に乗ったカウボーイが出てきますが、馬も牛も移民が持ち込んだものでした。あるいはイタリア料理には欠かせないトマトは南米原産ですし、キムチや焼き肉に使うトウガラシも同様です。

 今ではすっかり嫌われものになっているタバコも、この交換によって世界中にひろまったもので、ここには煙を吸うこと自体が、特にインテリや芸術家、あるいは文学者等が好んだ新しい嗜好の仕方だったという特徴もありました。

 食文化とグローバル化

 いま日本では居ながらにして世界中の食べ物が食べられます。あるいは寿司や天ぷらといった日本食が、世界各地でブームになっていると言われています。まさに食のグローバル化ですが、しかし、世界各地の固有の料理も、その食材を吟味してみれば、上記のように、「コロンブス交換」以後に普及したものが少なくないのです。と言うことは、どんなものも人類の歴史の中ではほんのわずかに過ぎない数百年程度のものだということになります。

 あるいは和食を代表すると言われている天ぷらは室町時代にポルトガル人が持ち込んだ料理法だと言われています。庶民の大衆料理になるのは江戸時代で、その理由は江戸が侍にしても町人にしても圧倒的に男が多い偏った人口構成だったことにありました。手軽に食事を済ます「屋台」が普及したのですが、寿司も蕎麦も天ぷらもここから広まったのだと言われています。

 私たちが今日常的に食べている洋食や中華料理は明治以降に入ってきたものです。しかしカレーライスはインドのものとは大違いですし、スパゲッティ・ナポリタンはイタリアのナポリに行ってもありません。同様に中華丼や天津飯も、中国では注文できないメニューです。これらはあくまで、日本人の好みにあわせて作り上げられた和洋折衷の日本食と言えるものなのです。

 食から文化全般へ

 海外旅行を何度か経験して、あちこちでその地の食べ物を口にしてきました。カレーやパスタ、あるいはパンやチーズなど、日頃食べているものとの違いを実感しました。けれどもまた、外から入ってきた食文化を、日本人ほどうまく日本文化に取り入れた国民はないとも思いました。そしてこのような特徴は「食」に限らないことだということにも気づきました。外から入ってきたものを自国に合うように手を加えることこそ、日本文化の大きな特徴で、そのことはすでに多くの人によって指摘されています。

 たとえば小さく、しかも高性能にするという特技は、第二次大戦後の経済成長を牽引した家電製品や自動車に見られた特徴でした。しかしまた、この特技が携帯に代表される「ガラパゴス化」の原因だとも言われています。漢字を輸入してひらがなやカタカナを作り出した日本人はまた、明治以降に流入した外来語をカタカナで表記して、独特の使い方をするようになりました。もちろんそれは有効に機能した側面を持ちますが、カタカナ語はまたもともとのことばとは似て非なるもになって、日本人以外には通用しないものにもなっているのです。

 日本人にとってグローバル化が必要だとすれば、そのことの自覚からはじめる必要があるかもしれません。

 マルサスの罠を乗り越えるために

ところで、最初に述べた飽食と飢餓にもどって、今回の話を終わりにしたいと思います。「コロンブス交換」が人間の数を飛躍的に増大させたと言いましたが、イギリスの経済学者として有名なマルサス(1766—1834年)は、たとえ食料の供給量が増えたとしても、結局は人口増加が食料の供給量を追い越して、貧困や飢餓がもたらされるだけだと言いました。この「マルサスの罠」は、70億人を超え、やがて100億にもなろうかという人間をまかなう食料生産は不可能だという議論と共に、最近よく見かけることばになりました。

 日本は人口の減少を問題にしていますが、これから急増するのはアフリカだと言われています。貧しい国が豊かになろうとするのは当然ですから、増加を抑制するのは難しいでしょう。だからこその「MOTTAINAI」キャンペーンで、捨てる無駄をどうやってなくすかといったことや、食糧にするもの自体の新たな発見や改良が、そう遠くない未来に差し迫った課題になると言われています。ここにはもちろん、農薬や遺伝子操作などがもたらす問題も含まれます。あるいは「新自由主義」的な政治や経済がもたらしつつある先進国における格差の問題を、世界大のレベルでどう克服していくのかといった難問もあるでしょう。

 地球に住む人間がすべて、衣食の足りた生活を送れるようになるといった理想が現実化できるのかどうか。やがて人口増が抑えられて「マルサスの罠」が取り越し苦労に終わる世界になるのかどうか。21世紀が抱える最大の課題であることは間違いないでしょう。



・経済学部「料理こそ経済学!
・経営学部「世の中の需要の大きさは胃袋の数…
・現代法学部「貧しい食事
・共通教育センター「English Breakfastは、イギリスの朝ごはん?