2019/02/12

企業と大学との懇談会

2019年1月24日(木)に開催された企業と大学との懇談会で佐々木さんが
「ソーシャルメディアのこれまで、これから」と題した講演を行いました。




著書「ソーシャルメディア四半世紀」に基づき、ソーシャルメディアのこれまでを振り返りながら、今後のリスクと希望を語りました。




ちなみに昨年の演者は大岩さんでした。


学生、保護者の就職への関心は当然ながら非常に高いので、企業の皆さんとのこうした懇談会は教員にとっても貴重な機会となりました。

2019/02/03

2018 年度 優秀卒業制作・卒業論文発表会

2019年2月1日に、2018 年度 優秀卒業制作・卒業論文発表会が行われました。

<優秀卒業制作・卒業論文発表>

① 赤羽 亮平・堀内 響(共同制作、指導教員:桜井 哲夫)
 職業 YOU TUBER ―動画投稿者

② 市川 勝栄(論文、指導教員:北山 聡)
 アニメ化する「少年ジャンプ」漫画作品の特徴

③ 鳥山 茉莉(論文、指導教員:阿部 弘樹)
 JavaScriptで作るゲームプログラミング

④ 小久保 京香(制作、指導教員:大榎 淳)
 「たらすぱ」(ZINE)

⑤ 里村 佳奏(論文、指導教員:松永 智子)
 なんのための歌舞伎雑誌—戦時期・占領期における『演劇界』(1943-)の分析から–

⑥ 鏡 潤樹(論文、指導教員:小山 健太)
 インターンシップの期間によるキャリア意識の差

⑦ 数馬 明奈(制作、指導教員:大岩 直人)
 卒業制作(旅行記):『れもねえどの創り方』

⑧ 荒川 遥香(論文、指導教員:駒橋 恵子)
パッケージデザインによる購買行動への影響に関する一考察

⑨ 滝沢 小百合(論文、指導教員:佐々木 裕一)
アンバサダーマーケティングにおけるインセンティブとしてのクーポンの有用性

以上の発表者の中から最優秀卒業制作・卒業論文賞が選ばれます。
なお、当日発表できなかった優秀賞は以下の通りです。

 ・松本 千裕 (論文、 指導教員:光岡 寿郎)
「不登校経験の開示と秘匿」

・チャン ハ ミエン (論文、 指導教員:西垣 通)
「日本におけるシェアリングエコノミーの可能性」

・蓮見 明彦 (論文、指導教員:池宮 正才)
「インターネットラジオについて考える」


2019/01/17

学問のミカタ 「学校スポーツのあり方について考える」


スポーツ・コーチング論担当の遠藤愛です。
今年度のゼミでは「甲子園という病」を課題図書として設定し、甲子園などを含む学校スポーツについて考えてきました。この書籍では、甲子園の連投を熱投、熱闘と讃え、美化する日本のメディアのあり方に疑問を呈し、アメリカではこうした過度な負担を児童虐待と捉える考えもあるといった指摘がありますが、甲子園を目指していた学生たちにとっては、これまで考えたこともなかった視点だったようです。

ゼミでのディスカッションでは、高校生活の全てを賭けてきた甲子園において、自分の体がだめになっても部の仲間のために投げ続けるという選択は当然だという意見もある一方で、こうした現状はおかしい、大会日程を調整すべき、投球数を制限するなどの意見も出ました。しかし、会場や日程を考えると、これらの策を実現するのはとても困難という意見も多数出ました。

実は、この本の内容に一番衝撃を受けたのは、クラブ育ちで個人スポーツしか知らない私だったかもしれません。常に自分のためにプレーすることを当然としてきた私の考え方からすると、自分ではなく仲間のために無理をしてでも投げるという “甲子園の常識”には驚かされました。私は、指導者が、選手に負担があることがわかっていながら、選手にプレー続行の可否を尋ねたり、プレーを続行させる判断を下すべきではないと考えているからです。

スポーツ選手は、試合中に過去、現在から未来を予測し、プレーします。スポーツを見る面白さは、選手たちが作り出す予測できない展開を見届けることにあるでしょう。そして、プレーする当事者としての面白さの一つは、未来を自分の手で作り出せることにあると思います。私も、一本、二本先の展開を予測し、そのために今打つショットを選択して組み立てていく面白さに夢中になりました。囲碁や将棋でも2手先、3手先を読んでさすと聞きますが、自分でゲームを創ることが勝負の醍醐味でもあり、勝負に負けるときは、相手の方が未来を組み立てる術、つまり技術・戦術において上回っていたともいえるでしょう。

では、指導者はどのような役割があるのか。
それは、他者、つまり選手の今、そして未来に向けて、選手の目標を達成するために導くことが仕事でしょう。選手の人生に関わるので、責任は重く、将来に悪影響を及ぼすリスクのあるプレーは避けさせるべきだという意見を学生たちに伝えました。

あるゼミ生は、「その考えはよく理解できる。でも、実際に自分が高校生活の全てを捧げてきた場所に立った時は、例えその後、2度とプレーできなくなるかもしれないと言われても、やっぱり自分はプレーしたい」と述べました。

今回の目的は、”これまでの自分の常識を疑い、客観的に考えること、自分と異なる意見を聞くこと、相手の意見を聞いた上で自分なりの考えをまとめていくことに取り組むこと”でした。他者とのやりとりを通して、自分がこれまで当たり前と考えてきたことに別の見方があることを知り、仲間の意見を聞いて、共に考えることができたのはよかったと思います。多様な観点から検討を加え、時間をかけながら自分にとっての正解を導き出すこと、これも大切な学びの一つだと考えています。

 

頭を捻って討論した後は、全員で運動会を行いました。しっぽ取り、綱引き、長縄、リレーとなかなかハードな種目が続きましたが、やっぱりスポーツは面白い!リハーサルの時は流していましたが、やっぱり勝負がかかるとみんな真剣になるんですよね。今年の1年間もマナゼミは良いゼミ生に恵まれました(遠藤愛)。


2019/01/07

22世紀恋愛論 安斎利洋

22世紀恋愛論

安斎利洋

 4月にコミュニケーション学部客員教授を拝命しました安斎です。すっかり時機を逸した挨拶もかねて、今日は「まれびと効果」についてご報告したいと思います。
 私が生まれ育った上板橋に、かつて教育大学(現筑波大学)の学生寮があり、われわれ悪童たちは部外者立ち入り禁止のその区画に侵入しては、ときおり出現する子供好きの寮生と仲良くなりました。彼らはときに野球の奥義を伝授してくれたり、いらなくなった参考書を、あたかも禁書のごとく授けてくれたりしたのでした。彼らはわれわれ悪童社会に異質なものたちをもたらしては去っていく客人(まれびと)でした。
 客員教授のお誘いを受けた時、「まれびと」の語を思い浮かべました。「客」として、そこに居続けないからこそ見える異質性を学生にもたらすよう要請されているのだと理解しました。
 たとえば大学にはそれぞれ学生の特色があり、ファッションも違えば見ているドラマの傾向も違います。大学は友人ネットワークですから、何がしたい何がほしいといった欲望を友人同士で同質化する培養器のように機能します。
 前期に担当した表現と批評「可能人類学」では、人間の社会、言語、科学に至るすべての文化は、たまたまそうなっている「偶有性」の結果であると仮定しました。どんな社会も培養器であり、植えつけられる種によって別のありようもあったのではないか、潜在的な人類の様態があるのではないか。
 可能人類学では、さまざまな思考実験を通して人間の別の様態を探っていきました。たとえば「触覚的自我」は、人類がもともと視覚をもたなかったら、どのような自画像を描くかという思考実験を、実際にアイマスクで視覚を閉ざし、つるつるの白い紙とざらざらの黒い紙を切って貼る作業で完成させます。他人がどう描いているか見えないので、十人十色ばらばらのスタイルをもった自画像群が仕上がっていきます。


滝口集(東経大コミュ2年)の作品 真ん中に空いた穴は心臓

 この講座「可能人類学」をしめくくる思考実験は「22世紀恋愛論」でした。ケータイのない1990年代の恋愛は、スマホのある今の恋愛とは異なります。一方で、千三百年前の万葉の相聞歌に現代人は感情移入できます。はたして百年後の恋愛はどうのようなものか、案外今と同じなのか、とんでもなく別物なのか。グループを何度も再編成しては議論を重ね、最終的に未来の恋愛ドラマのシナリオを個々人が書く、という課題でした。
 これが予想をはるかに裏切るすばらしい出来でした。誇張でなく本当に引きこまれる作品がいくつも生まれました。最終日には映画監督の木場明義氏が講評のうえ、次の3作品に賞が授与されました。

「maclay」森田英暉 SF賞
「VRなんて絵空事」伊藤匠 ストーリー賞
「ラブレター」三上拓成 ラブ賞


 さてこのワークショップのデザインに、まれびと効果を仕組みました。ここ10年私は武蔵野美術大学基礎デザイン学科で「オートポイエーシス論」を担当していて、この授業に「22世紀恋愛論」を引き継いでみたのでした。東経でのワークショップを下敷きに、リレーする形で議論を重ね、作品を制作しました。その結果をまとめたのが以下のページです。
 


 制作の専門性を目指すムサビの学生たちが、 VRChatなどを遊び尽くしている東経側の作品に影響を受けているのが印象的でした。なかでも面白かったのは、伊藤匠(コミュ2年男子)が書いたシナリオに感銘をうけたムサビ3年女子が、作品を書籍化する想定で表紙を描いたこと。その後シナリオ男子は、ムサビの授業に潜入して表紙女子に対面しました(その後このリアルドラマがどうなったのかは私の関知するところではありません)。



 そういえば先月、ユネスコ無形文化遺産として来訪神が登録されたニュースが飛び交いましたが、大学にもときどきまれびとが往来するといいですね。これからも、あまり威圧的ではない「なまはげ」を仕込んでいこうとあれこれ画策中です。

2018/12/21

今を良くするのは機械。未来を創るのは人間...「ウェブ・マーケティング論」


"今を良くするのは、機械。未来を創るのは、人間"

このゲスト講師のことばが、今年の「ウェブ・マーケティング論」(佐々木裕一担当)の受講者には心に残ったようです。「人工知能が人の雇用を奪う」とか、「いや、なくなるのは一部の業務であって、人は機械の苦手な創造的なことをするようになる」といった相反する情報に学生が接しているからかもしれません。

コミュニケーション学部で理屈の上で一番難しい科目。それが「ウェブ・マーケティング論」です。なぜかというと、学部で唯一(2018年度現在)、3年生での履修を推奨されている科目だからです。「ソーシャルメディア論」で利用者の行動や心理、「コンピュータ・ネットワーク論」で情報技術の基礎、さらには「コミュニケーション戦略論」といった企業コミュニケーションの考え方もわかったた上での履修が理解を深め、合格率も上がる科目というわけです。

今どき、マーケターを目指すのであれば、情報技術への基礎的な理解は欠かせません。味の素、キリンビール、サントリー、ソフトバンクなども含む広告主が作る日本アドバタイザーズ協会のウェブ広告研究会でも「デジタルの変化に対応できないマーケターは淘汰される」という宣言が2016年に出たぐらいですから。

そのような変化も感じてもらうため、私は必ず2回、実務者をゲスト講師を呼ぶようにしているのですが、今年のゲストは以下のお二方。

  • 株式会社電通 第3統合ソリューション局 局長 田中耕平氏
  • 株式会社ZOZO マーケティング本部 プロモーション部長 小高洋介氏

田中さんの講義のお題は「現在進行形のデジタルマーケティング」。データを用いてターゲットを複数に分けて、ターゲットごとにさまざまなメディアを用いてコミュニケーションをしていくという話でした。

購入の動機づけについて語る田中氏

過去においては、「One Target, One Communication」というようにメインのターゲットを定めて、その層に基本的に1種類の表現を用いてアプローチしていました。でもデータの恩恵によってターゲットごとに複数のアプローチが同時並行で可能になったわけです。私が広告業界にいたころは、マーケター、クリエイター、セールスプロモーションのプランナーは別々の局に所属していましたが、今は「統合ソリューション」という局に一緒にいることも象徴的ですね。

小高さんの話は、学生が日常的に利用しているZOZOTOWNということもあり、特に熱心に聞かれ、質問も多数出ました。

興味深い事例として「ZOZOTOWNで購入してくれる確率の高い人はどんな変数で決まってくるのか」という話題が登場。答えは授業の中だけで、ここでは書けないのですが、たとえば「直近3ヶ月のZOZOでの検索回数」「直近1ヶ月のZOZOでの閲覧ページ数」「直近1年での購入点数」といったもののうちどれが最も影響するのかという話です。ここでもデータが主役。その分析には、人工知能の一分野(手法)の機械学習が使われているのだそうです。

最初期のZOZOTOWN(想像と創造の行き交う街だって知っていました?)
トップページ(WayBack Machineより)

2人のゲスト講師が共通して強調していたことは、「データというのはすべて過去のことである。だから人間の行動パターンを把握するのには確かに優れているし、しかも速くそれがわかる。けれども検証するべき仮説や変数を決めていくのは、マーケティング業務においては、まだまだ人間の役割である」ということ。

ただし広告のコピーライティングにもすでにAIは導入されており、「人間よりは『おおー、いいねぇ』と思うコピーが出てくる確率は低いが、かなりのスピードで量を作るので、近い将来にそれは業務に取り入れられる可能性はある」という話もありました。

さて情報技術と人間は近未来においてどう共存していくのでしょうか?

「マーケティング」とは字義通りにとらえれば市場を作ることです。それは消費の活性化や経済成長とともに肯定的に語られることもある。けれども、情報技術によって半ば無理に欲望を作り出すものだと否定的に語られることもある。今回はゲスト講師の内容紹介でしたが、授業の回によってマーケティングへの見方が異なる、分裂的な私の「ウェブ・マーケティング論」の特徴はそこにもあると思います。


2018/12/15

海外ゼミ研修(小林誠ゼミ)のご報告 vol.2

海外ゼミ研修(小林誠ゼミ)のご報告 vol.2

〜フィリピン・セブ島における異文化のフィールドワーク〜

異文化のフィールドワークをテーマとする小林誠ゼミでは、9月5日から9日の4泊5日、フィリピンのセブ島にてゼミ研修を行ってきました。

簡単なスケジュール
1日目 移動日 成田からセブへ
2日目 セブ市内散策 学校訪問 日本人会訪問
3日目 ビーチ観光の調査(アイランドホッピング)
4日目 班別行動(古着屋、モール)
5日目 自由行動 + 移動日

ここからは3日目からの様子をお伝えします。

ビーチ観光のフィールドワーク


シュノーケリングスポット


ナルスアン島へ


お世話になったガイドの方々

アイランドホッピングをフィールドワークしました。参加したのは、サンクチュアリー(海洋保護区)に指定されたヒルトゥガン島、ナルスアン島のふたつの離島でのアイランドピクニックを楽しめるツアーで、美しいセブの海でのシュノーケリングの後、南国の島でのんびりと思い思いに楽しむことができます。現地ガイドの方は日本語を自分で勉強して話せるようになったとおっしゃっておりました。観光産業で働くことで、無事に子供を大学に行かせることができたそうです。日本人の若い男女もこちらで働いておりました。

食文化
ホタテのガーリックグリル  ローストチキン


ガーリックライス              エビのバターガーリック











豚肉の春巻き


豚、鶏、そして、海産物も豊富です。ガーリックライスはなかなか癖になる味です。












KUYAJ(クヤジェー)









Choobi Choobi(チョビチョビ)



地元の人たちに愛されているレストランに行ってきました。家族連れが多くて、楽しい空間でした。
WATAMI


キングドラゴン巻

日本でおなじみの和民もありました。フィリピンの人達にも日本食は広く受け入れられているようです。


現地での気づき
 実際に来るまでは、セブはビーチリゾートというイメージだったのですが、来てみるとそれとは異なる現実もありました。それは、東南アジア的な都市の雑踏や車の渋滞です。華やかで、物が溢れるショッピングモールのすぐ裏に、ホームレスの子供たちが物乞いしているを目の当たりにして、現地での圧倒的な貧富の差や日本とフィリピンの格差、そして、発展とは何かについて考えさせられました。
 ただし、彼らの暮らしが苦しいというと必ずしもそうではなく、貧しいながらも豊かな暮らしの一端も見ることができました。
               ホテルそばの街並み

市場


様々なことを学べた研修でした。ネットでなんでも知ることができると思っていましたが、やはり実際に行ってみないとわからないことも多いですね。

2018/12/03

海外ゼミ研修(小林誠ゼミ)のご報告 vol.1



海外ゼミ研修(小林誠ゼミ)のご報告



〜フィリピン・セブ島における異文化のフィールドワーク〜


異文化のフィールドワークをテーマとする小林誠ゼミでは、9月5日から9日の4泊5日、フィリピンのセブ島にてゼミ研修を行ってきました。

研修の目的は大きく3つあります。1つ目は異文化(フィリピン)を知ること、2つ目は観光産業をフィールドワークすること、3つ目は現地日本人と交流することです。現地での気づきを大切にするのがフィールドワークです。学生たちは短い間に様々なことを感じたようです。彼らが取った写真と書いた文章とともに、現地で学んだことをお伝えします。



簡単なスケジュール

1日目 移動日 成田からセブへ
2日目 セブ市内散策 学校訪問 日本人会訪問
3日目 ビーチ観光の調査(アイランドホッピング)
4日目 班別行動(古着屋、モール)
5日目 自由行動 + 移動日


セブ市内散策(教会)

 マゼランクロス

マゼランが1521年に建てたといわれる木製の十字架です。世界史で習った大航海時代を感じることができる貴重な経験です。


 お祈りしてもらいました

サントニーニョ教会は1565年に建造されました。ただし、現在の建物は1740年に再建されたものだそうです。教会の中ではお祈りをしている人がいたり、外で赤いキャンドルに火をともして願いごとをしている人々がいたりと、宗教的な雰囲気を感じられる場所でした。フィリピンの人々はとても信仰を大切にしていると感じました。

  サントニーニョ教会


 赤いキャンドル


サン・カルロス大学訪問



1595年設立という歴史を持つ、セブ島随一の名門大学であるサンカルロス大学を訪問しました。カトリック系の大学で、昼休みに流れる校内放送に合わせて、お祈りする学生の姿が印象的でした。学生たちは制服を着ています。勉強熱心な学生が多く、とても刺激になりました。日本語を話せる学生もいました。


日本人会・日本人企業家訪問












セブ日本人会訪問

田中さんの会社(アクセサリー制作)

セブ日本人会副会長の田中さんから日本人会の活動や、セブに滞在する日本人の現状、そして、田中さんのお仕事について丁寧に教えていただきました。日本人会では毎年盆踊りを開催しているそうです。日本人同士あるいは日本人とフィリピン人の交流の機会にもなっているようです。田中さんの会社では、フィリピンの人たちとともに、アクセサリーの制作を行なっており、日本を離れて事業を成功させてきた田中さんの姿に同じ日本人として誇りを感じました。(vol.2につづく。。)

2018/11/20

ゼミ発表会

2018年11月17日(土)にコミュニケーション学部恒例のゼミ発表会が行われました。




ゼミ生の発表を聞いて、コミュニケーション学部1年生は、来年度のゼミを選ぶ上での参考にします(ゼミ発表会プログラム)。

終わった後は懇親会です。
山下先生の乾杯の合図



懇親会では先生に直接、ゼミの様子を尋ねることもできます。
ゼミでの学びは濃密です。
学生一人ひとりが、自分に合ったゼミを見つけられますように。。。



2018/11/07

学問のミカタ~カニバリズムについて

学問のミカタ、今回の担当はカルチュラル・スタディーズ、英米文学、英米文化論担当の本橋先生です。

「カニバリズム=食人」と聞くと、皆さんはどのようなことを思い浮かべられますか?人類が忌避してきたタブー?飢餓を救う道がない緊急状態で行われる生存手段?「野蛮人」の風習としてヨーロッパの植民者たちが先住民に押し付けた人種差別のレッテル?アジア太平洋戦争中に食糧補給のない日本軍兵士が行ったこと?中国などでグルメの極致として洗練されてきた技巧?・・・
 いずれにしろ、カニバリズムは肉食動物である人類にとって、実はきわめて身近に行われてきたことであって、必ずしも私たちにとって疎遠なものではありません。たとえば、私たちは「食べてしまいたいほど好きだ」などと言うことがありますが、それは性愛と食欲が深く関わっているからでしょう。皆さんの中にも愛読者がおられるでしょうが、宮沢賢治やアーシュラ・ル=グインといった作家の作品では、カニバリズムが重要なテーマの一つとなっていますし、「赤ずきん」とか「ヘンゼルとグレーテル」といったおとぎ話の中心にもカニバリズムがありますね。「人を食う話」は人間にとって近しいものである、というか、あまりに身近なものであるだけに、できれば遠ざけておきたい、ものであるわけです。
 このようなカニバリズムの実態に学問的に迫るためには、その発現形態を分析するだけでなく、それが言語によって表象されてきた歴史を探求することが肝心です。私なりにカニバリズム言説の歴史を整理すると以下のようになります。
 第一期は古代ギリシャから中世まで、ヘロドトスやマンデヴィル、マルコ=ポーロといった作家が有名ですが、食人が理解不能な他者の習慣として描かれており、そのような怪物的存在は自己の共同体の外部を示すために必要なだけで、実在を証明する必要はありませんでした。それが第二期の西洋植民地主義の時代になると、コロンブスがたまた耳にした「カニバレス」という音から「食人種」が実体化されたように、記号による被植民者の悪魔化の手段として伝播します。この傾向はアメリカ新大陸から太平洋の島々、オーストラリア、東南アジア、アフリカにまで植民地支配とともに拡充してゆき、モンテーニュやスウィフト、サドといった稀有な文化相対主義者もいたのですが、植民地主義者が自己を正当化し、他者を周縁化する力学のもとに、植民地支配が免罪される契機が作られていきました。第三期は二〇世紀のポストコロニアル時代における修正主義的な知の積み重ねによって、以前のヨーロッパ中心主義的なカニバリズム言説の歪みが検証されていきます。アレンズやオベイセーカラといった学者たちの研究によって、先住民による食人慣行に疑問が投げつけられました。たしかにここでベクトルの方向は、コロニアリズムの時代とは逆で、ヨーロッパ中心主義が暴かれていくことになったのですが、自己と他者、ヨーロッパと非ヨーロッパという関係そのものは温存されていました。それが第四期になると、表象の重要性に焦点が当てられ、幻影によって生み出される自己と他者関係の変容が焦点となります。人間と動物とを区別せず、あらゆるモノ自体の自律性に注目するという、先住民の思考に着目しながら、ヨーロッパ人の残した食人儀礼の記録が読み直されていきます。たとえばヴィヴェイロス・デ・カストロが論じるカニバリズムは、自然の身体としての人格である肉を食するという行為において、自然と文化の境界線に位置するものです。食人は「敵」という根源的な他者に対する復讐であると同時に信頼であり、人間だけでなく動物や死者、モノにまでいたる多元的な世界における非ヨーロッパ的で双方向的な「アンチ・ナルシス」の思考を導き出すとされるのです。
食べることは交わることと殺すことと並んで最も人間的で双方向的な行為であって、食事の極限にあるカニバリズムは究極的な信頼の創造とも言えます。カニバリズムという視点から、食と性、神話と歴史、自己と他者、生命と死、信頼と危険といった相互依存概念を考察することが、魅力ある学問的探究である理由もそこにあるのです。

2018/10/30

ジャーナリズム論:ゲストと語る「家族」「いのち」そして「メディア」


「ジャーナリズム論」担当教員の松永です。

ジャーナリズムとは、たんにマスメディアの営為を指すのではなく「同時代を記録し、その意味について批評すること全体をさす」(鶴見俊輔、1965

誰もがソーシャルメディアを手にする現代において、ジャーナリズムをプロの仕事として眺め、「論じる」だけではきっと足りない。受講生自身がジャーナリズム「する」ことを意識して授業を組み立てています。

1025日の授業には、作家・セラピストとしてご活躍され、ネットニュースの編集や、社団法人・日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)の建ち上げにも携わったご経験のある田村真菜さんをお招きしました。

 ※講義に参加してくださった本学広報課の職員さんによる記事が大学HPで公開されています。

授業の柱は主に二つで、田村さんが問題提起されている「虐待・結婚・出産」について議論すること、メディアとの付き合い方について考えることです。

写真1:田村さんの講演「熊に食べられたかった私」

170人規模の教室で、いかにして双方向のコミュニケーションが可能かを考えた結果、次のような方法を試みました。ゲスト講義の前週で、田村さん自身が書かれた文章、メディアによって取材された記事およびテレビドキュメンタリーに触れ、田村さんへの質問や、授業で議論したい論点を受講生に書き出してもらう。それを編集して当日の配布資料にするほか、田村さんにもお渡しし、授業前半の講演という形で応えていただく。後半は、受講生数人にも登壇してもらい、パネルディスカッションを行うというものです。ちなみに、授業で受講生のコメントを公開するときは、実名かペンネーム(アカウント名といった方が今風?)かを各自が選択できる仕組みにしています。

写真2:パネルディスカッション「男とか女とか」

受講生が真剣に取り組み、田村さんが誠実に向き合ってくださったおかげで、当日は限られた時間ながら、活発な議論が展開できました。授業後に集めた感想は、熱量のこもった筆致でビッシリと綴られたものばかりで、壮絶な人生に裏打ちされた田村さんの言葉に深く感銘を受け、受講生同士刺激し合っている様子が伝わってきます。

視野を広げ、自分の思想を深めること、人と話し合うことは、「重要」というより「楽しい」!そう感じられる講義を今後も企画していければと改めて思いました。

また、授業内では話し足りないという声もあり、田村さんには午後の松永ゼミにも来ていただき、より親密な形で第二ラウンドを展開しました。田村さん、ありがとうございました。

写真3:ゼミでの第二ラウンド「親から自立する時」

11月の「ジャーナリズム論」は、海外紛争地での取材・報道経験のあるゲスト講師をお招きし、「遠く離れた世界について知ること」をテーマに議論する予定です。(私が)楽しみです。