2016/03/29

希望をはぐくむコミュニケーション

STAND UP!!』6号

 昨年の秋、一冊のフリーペーパーが私の元に届けられた。タイトルに「STAND UP!!(左写真)とある。

 「私が編集長を務めたフリーペーパーが今年4月に発刊されましたので、先生にお届けしたく持参いたしました」という卒業生からのメッセージが添えられていた。

 その卒業生、中陳(なかじん)香織さんが初めて私の研究室を訪れたのは、2011年秋のことである。携えている杖が目にとまった。私のゼミに興味を持ち、内容を詳しく知りたいとのことであったが、話を聞くうちに、大学受験のころ骨肉腫と告知され、入院治療のため大学を1年間休学し、この春から復学したことなどについて彼女は語った。

 中陳さんは2年次から私のゼミに所属することになった。学年末に彼女が提出したゼミ・レポートのタイトルは「若年性がん患者が直面する問題」であった。

 彼女の闘病生活は心身ともに極めて辛いものであったはずだが、そのレポートには、自分自身の闘病体験とともに若年性がん患者が直面するいくつかの問題に関する考察が克明、的確かつ冷静な文体で記述されていた。私はこれまでに膨大な数の学生レポートや論文に目を通してきたが、彼女のレポートは傑出していた。

 2011年の秋、中陳さんは若年性がん患者団体、STAND UP!! に加わった。前記フリーペーパーの発行団体である。彼女はSTAND UP!!で活動しながら、「がんの告知を受け一度は絶望した患者が自らの状況をどのようにして受け入れるのか」という問題について考え続けた。

 そして、卒業論文「がん患者が自らを受容する過程はどのようなものか〜がんサバイバーシップの視点から〜」(指導教員・川浦康至教授、2014年度コミュニケーション学部最優秀卒業制作卒業論文賞受賞)を書いている頃、「STAND UP!!第6号(2015年)の編集長に選ばれた。私のもとに届けられたフリーペーパー「STAND UP!!」は、彼女の編集長としての成果であった。

*    *    *

   中陳さんが参加したSTAND UP!! は、若年性がん患者によるセルフヘルプグループである。

 セルフヘルプグループとは、共通の悩みや困難を抱えた当事者の人々が自発的に結集し助け合うグループである。余談になるが、私も持病の心臓弁膜症病の手術を受ける際、心臓弁膜症に特化したセルフヘルプグループのホームページに大変お世話になった。当事者以外の人々には話しづらいこと、話しても理解されにくい事柄であっても、同様の悩みや困難を抱えた当事者同士であれば話しやすく、共感的な理解や適切なアドバイスをえられやすい。

 セルフヘルプグループは自分を受け入れてくれる仲間と出会える場であり、気持ち、経験、情報などを分かちあい相互に支えあいながら困難を乗り越えようとする活動の場である。セルフヘルプグループはこのような場を提供することによって当事者に生きる力や希望をもたらし、前向きに生きてゆく手助けを行うのである。

 現在、日本には数多くの多様なセルフヘルプグループが存在する。がん患者のセルフヘルプグループも数多い。しかし、若年性がん患者のためのセルフヘルプグループはごく少数である。そもそも、がん患者全体に占める若年性がん患者の割合は非常に低く、若いがん患者は全国に分散している。したがって、がん患者の若者たちが自らセルフヘルプグループとして結集することが難しいのである。それは、闘病生活にかかわる若者固有の問題を抱えながら、同年代の闘病者と出会い話す機会もなく孤立している若者が数多くいることを意味する。

 こんな状況をがん患者として自ら体験した松井基浩さん、鈴木美穂さんのお二人は、2009年、若年性がん患者のためのセルフヘルプグループSTAND UP!!を設立した。フリーペーパー第1号の編集後記に、設立者の一人、鈴木美穂さんの次の言葉が記されている。
最初は「がん=死」のイメージにとても苦しみました。「私の人生、このまま終わってしまうのか……」と何度も心が折れそうになり……、三途の川を渡る夢をよく見ていました。同じ病院に自分のような若いがん患者は見当たらず、数ある患者会に出席する勇気もなく、自分の進んでいく道が全く見えませんでした。 
そんなどん底の中、このフリーペーパーのなかにも登場する曽我千春さんの存在を知りました。同じ病気を乗り越え、闘病経験をプラスに変えて生きる彼女の姿を見て、視界が開けていくのがわかりました。 
それを封切りに少しずつ「がん友」ができ、今では私にとって大きな励みになっています。「一番苦しいときに知ることができていれば、もう少し前向きな気持ちで闘病できたかもしれない。それなら、その時に知りたかったことを凝縮して、後に続いて闘病する人に届けたい。」その思いが原動力になりました。

 鈴木さんがここで強調しているのは、「がん友」という人と人の繋がりとコミュニケーションの重要性、そして一番苦しいときに知りたかったことを凝縮して、後に続く闘病者に届ける情報発信の必要性である。STAND UP!! が掲げる下記の活動目的には、このような切実な思いが込められている。
STAND UP!! とは、35歳までにがんに罹患した若年性がん患者による、若年性がん患者のための団体です。私たちの活動目的は、現在闘病中の若年性がん患者が前向きに闘病生活を送れるようにすることです。そのために、2009年の立ち上げから現在まで、メンバーが自らの闘病経験を活かして活動してきました。
主な活動内容は、フリーペーパーを通した情報発信、メンバー間の交流、がん啓発イベントへの参加です。これらの活動を通して若年性がん患者の輪が広がることで、一人でも多くの患者が孤独に闘病生活を送らないようにすることを願っています。

 STAND UP!! の大きな目的は、若年性がん患者が前向きな気持ちで闘病生活を送れるよう手助けすることにある。メンバーは同様の経験を経た若いサバイバーである。闘病中の若者が直面する不安や悩みを共感的に理解し、自身の経験を伝えることなどによって彼らの心の支えになることができる。

 がんに罹った若者は、学校や仕事、恋愛や家庭、将来の志望など、社会生活にかかわる若者固有の問題に直面し、一人で悩んでいる場合が多い。そのような孤立した闘病者に、共に支えあえる仲間の存在を知らせることがまず重要な課題となる。そのうえで、仲間の存在に気づいた闘病者が、仲間とのコミュニケーションをつうじて闘病生活に役立つ情報を得たり、今後の生活や生き方にはさまざまな可能性があることを知り、前向きな闘病生活を送れるよう手助けすることが活動の目標となる。フリーペーパーの発行、メンバー交流会の開催、啓発イベントへの参加などが、その具体的な活動内容である。

*    *    *

 STAND UP!! の活動のなかで、フリーペーパーは人と人の繋がりを広めコミュニケーションを促進するメディアとして大きな役割を果たしている。現在このフリーペーパーは全国約350の病院に配布されており、数少ない若年性がん患者がこのフリーペーパーに目にとめ、仲間の存在とさまざまな役に立つ情報に気づくきっかけとなっている。

 フリーペーパー「STAND UP!!」の大きな特徴は、号毎で特集内容は異なるものの、誌面の大半がサバイバーの若者たちの具体的な声によって構成されている点にある。中陳さんが編集長をつとめた第6号では、30名にも及ぶサバイバーの声が紹介されている(以下、既刊各号からの抜粋)
「巻頭スペシャルインタビュー」 がんを克服し、社会の一線で活躍している若者へのインタビュー。インタビュー内容は、がんと判明した経緯、治療中の過ごし方、学校の勉強や職場の仕事、退院したときの気持ち、その後の変化、そこからの挑戦、どうしてそこまで気持ちが変化したか、飛び込んだ新たな世界について、がんを公表したときの周囲の反応、これからの夢、若年性がん患者へのメッセージなど。 
「若年性がんと向き合う10人のストーリー」 「一人一人の生き方は違うけれど、今このときを全力で生きている若年性がん患者」10名が、発病、治療、再発、受験、就職、夢、がんと向き合うこと、などについて語ったライフストーリー。 
「がんと闘う仲間たち」 闘病中の6名の若者から闘病中の若者へのメッセージ。 
「私たちのライフワーク」 がんになったからこそ見つけた目標や生きがいについて、10名のサバイバーが寄せたメッセージ。 
「闘病を支えてくれた贈り物 心に響いた応援の声」 闘病中に家族、友人、職場の仲間、患者仲間、医師、看護師、カウンセラー等からかけられたうれしかった言葉、励みになった言葉が数多く紹介される。 
「より良い闘病生活のために」 アピアランス支援センターなど、がん闘病にともなう若者固有の問題の解決に役立つ情報の紹介。治療に伴う外見の変化は、若年性がん患者にとって大きな問題である。 
「座談会」 サバイバー4名が恋愛や結婚、仕事や家族などについてざっくばらんな本音が交わす座談会。

 誌面には、インタビュー、ライフストーリー、メッセージ、座談会など多様なコミュニケーションスタイルをとりながら、人それぞれに異なるがんとの向き合い方、生き方、考え方などが当事者の声として紹介されている。後に続く闘病者にとって、それらの声の一つ一つが具体的な指針として役立つと同時に、それらの声全体から「一人ではありませんよ、ここに支えあえる仲間がたくさんいますよ、いろいろな可能性がありますよ」という大きなメッセージが伝わってくるのである。

*    *    *
   孤立した闘病のなか、絶望から脱し前向きに歩み始めるためには何らかのきっかけが必要である。そのきっかけとして重要なのは、話をしかと受けとめてくれる相手の存在である。相手が自分の苦難を受容してくれる者であることに気づき、その相手に不安や苦しみを語ることができるようになったとき、それまで言葉にしえなかった経験や思考感情はひとまとまりの物語に編成され、心の中に整理されてゆく。辛かった経験が心の引き出しに整理されてくれば、前向きに次のステップへ進む力もわいてくる。語りをしかと受けとめてくれる相手を見出すことは、レジリエンス(困難から回復する力)の賦活につながる。

 「語る」ことと「聴く」ことは、コミュニケーションの本質的要素である。STAND UP!! は孤立する若年性がん患者に向けて、「もしもし、ここにたくさん仲間がいますよ、ここにコミュニケーション可能な多くの仲間があなたの方を向いていますよ」というメッセージを送り続けている。

 人と人の繋がり、コミュニケーション、情報が切実に求められるのは、大きな困難に遭遇したときである。困難の渦中にあるとき、手を差し伸べ温かい言葉をかけてくれ、本当に必要な情報を知らせてくれる他者や仲間の存在は貴重である。そんなとき、私たちは、人間は自分一人で生きているのではなく、他者と共に他者に支えられながら生きていることを深く認識し感謝する。人と人の繋がりのこのようなあり方を意識し、共に支えあうコミュニケーションを実践することはとても大事なことである。

 STAND UP!! のメンバーは自ら死線をさまよい苦難と絶望を乗り越えた者として、いま同様の困難に直面している人々に寄り添い手をさしのべている。生き延びた者として、喪った仲間を悼む者として、彼らはいま闘病する人たちを懸命に支えようとしている。困難と絶望を経験した者は、その渦中にある他者の苦しみや悲しみを受けとめ、人と人の繋がりと共に支えあうコミュニケーションを拓くことができる者である。

 若い彼らのこのような営為に、私は心から敬意を表したい。
池宮正才

2016/03/24

入学式がちょっと変わる

卒業祝賀会場でゼミ生と記念撮影
23日は東経大の卒業式でした。ほっとしたのもつかの間。来週はもう入学式です。
さて18日、都立中央ろう学校(高等部)で卒業式がありました。

 実は来月、この学校の卒業生がコミュニケーション学部に入学します。私もオープンキャンパスで受験相談にのったり、学校を訪問したり、と何度か会ったことのある生徒です。

 彼の入学に合わせ、4/1の入学式では、学長挨拶はじめ、スピーチと並行して字幕を出すことになりました。

 東経大では初の試みです。

 大学では、これまでノートテイカーを募集したり、サポート体制を作っています。私のゼミでもノートテイカーに応募した学生がいて、うれしかったのと同時に、受け入れ体制が学生の間でも進んでいることを実感しました。準備の過程で、こんな制度があることを知りました。

 日本社会事業大学の単位互換です。

 東経大には手話による英語の授業がないため(手話の授業はあります)、ありがたい制度です。
4/1は東経大にとって新たな試みがスタートする日です。それはコミュニケーション学部にとっても同様です。聴覚障害がコミュニケーションの障害にならないよう(聞こえる人、聞こえにくい人どちらにとってもです)、いっしょに歩いていきたいと思います。
さて、4年つとめた学部長も今月で終わります。31日の運営会議が最後の仕事です。任期中の最大の喜びは学部20周年を学部長として迎えられたことでした。なかでも、若手が総出で記念シンポジウムと懇親会を担ってくれたのはうれしかったですね(概要はリンク先の8ページから)。みなさん、コミュニケーション学部は今後も大丈夫ですよ。

 4月から関沢英彦先生が学部長を務めます。
川浦康至

2016/03/05

【学問のミカタ】あけてぞ今朝は別れゆく

「情報社会論」担当の西垣通です。

3月の共通テーマは「卒業」。

業式は私の好きな行事である。なぜだろう? 世話のやける学生たちがようやく巣立ってくれるからだろうか。―いやいや、とんでもない。情報学的にはうまく分析できないけれど、こみ上げてくる熱いものがあるからだ。

業していく学生たちは、皆うれしそうである。訣別の日でもあるのに、センチメンタルに名残を惜しむ様子などあまりない。もうすぐ始まる新たな生活のことで、頭も胸もいっぱいなのだろう。入学以来の歳月の流れをふりかえり、ひそかに感慨にふけるのは、むしろ親や教師のほうなのだ。

ずか四年前、詰め襟やセーラー服が似合う童顔の高校生だった、あの子やこの子……。それが、キャンパスで夏から冬へと季節を重ねるごとに、みるみる都会の若者の洗練されたファッションを身につけ、大学のコミュニケーションの空気に馴染んで、のびやかな青春賛歌の雰囲気を漂わせるようになってくる。そして時がたち、今こうして学窓を去っていく彼や彼女のぴんと伸びた背中は、社会人風のはきはきしたマナーとともに、すでにある種の大人の苦みさえ醸し出しているのだ。

ミで元気よく、また遠慮がちに発言していた、あの顔やこの顔。それらを、私はもう、二度と眺めることは出来ないかもしれない。

子がまだ幼かった頃、幼稚園の卒園式に出席したことがある。満面の笑みをたたえてはしゃぐ園児たちの脇で、女の先生、そしてお母さんたちが皆、ぽろぽろ涙を流していた様子を鮮明に覚えている。家族の愛情を浴びてわがまま一杯にすごしていたわが子が、初めて仲間との集団生活に投げ込まれ、芋掘り、遠足、運動会など、泣いたり笑ったりしながら、試行錯誤で歩んできた。その子がもうすぐ小学校に入り、本格的な学習教育の場に参入する。ようやく準備がととのったというわけだ。つみかさねてきた出来事のありさま一つ一つが、涙とともに湧き上がってくるのだろう。

の子も仲間と一緒に成長する。こうして大学を卒業していく学生たちは今や、小学校以来の学習教育の場を後にしようとしている。これからは仲間と別れ、一人で、生き馬の目を抜く荒々しい競争社会に漕ぎだしていくのだ。もはや、陰で支えてくれる親も教師もいない。嵐の中でたくましく、しかし優しさを失うことなく、自分の航路を拓いていけるだろうか。そのための知恵やエネルギーを、たとえわずかでも、私はうまく学生たちに伝えることができただろうか。

近、大学も経営体であり、教師は教育労働者として知識を学生に効率よく伝達するのが役目だという議論をよく耳にする。なるほど、それも一理あるだろう。だが、細かい断片的知識はどこかに忘れてしまっても、キャンパスで過ごした日々の身体的な記憶、濃密なコミュニケーションでつちかわれた豊饒な感覚は、たやすく消えるものではない。

ぶとは、教えるとは、つまり、人間同士をむすぶ一回限りの出来事の堆積ではないだろうか。情報社会とは、そういう堆積がつくるものなのである。