桜井哲夫先生の授業「戦後マンガ史の試みから」の続きです。
1966年12月に手塚治虫が創刊したマンガ家育成のための雑誌『COM』(彼は創刊号で、COMICS(まんが), COMPANION(仲間・友だち)、COMMUNICATION(伝
えること・報道)、の3つのCOMをあらわすと述べています)に「ぐら・こん」という投稿欄がありました。
えること・報道)、の3つのCOMをあらわすと述べています)に「ぐら・こん」という投稿欄がありました。
この「ぐら・こん」には、 その後有名マンガ家となる若者たちがマンガを投稿して、 採点してもらっていました(マンガ予備校)。
「土佐の一本釣り」の青柳裕介、「タッチ」のあだち充、 竹宮惠子、「博多っ子純情」の長谷川法世、宮谷一彦、「 三丁目の夕日」の西岸良平、神江里見、能條純一、日野日出志、 諸星大二郎、やまだ紫、山岸凉子といった人たちがそうでした。
「ぐら・こん」とは、グランドコンパニオン、つまり「でっかい仲間」といった意味です。最初のところに「マンガを愛するでっかい仲間達よ、集まろう」という呼びかけが載ってます(左画像)。