コミュニケーション学部の南隆太です。
お正月だと思っていたら、あっという間に1月も後半になってしまいした。
大学や高校入試の本番まで秒読みとなり、ニュースなどでも話題になることが増えてくると、受験生はもちろんですが、誰もがなんとなく落ち着かなくなるような気がします。
そんなときに「シェイクスピア」でもないのかもしれませんが、むしろそんな時こそ気分転換に、難しいことは言わずに「シェイクスピア」でも楽しんでみてはどうでしょう。「冬」にこじつけて、今回はシェイクスピアの『冬物語』を簡単に紹介します(ちなみに、同名のビールもありますが、たぶん関係はないのでしょう)。
さて、この『冬物語』、皆さんが想像する「シェイクスピア」とはちょっと違うかもしれません。シシリア王レオンティーズは、幼馴染みのボヘミア王ポリクシニーズと自分の妻ハーマイオニとの仲を突然疑うようになります。その異常なまでの嫉妬に駆られ、レオンティーズは、妻が無実だという神宣も受け入れることができなくなってしまい、妻と息子マミリアスを失うことになります。さらには妻が浮気をした結果できた子供だと思った娘も、どこか遠い荒野に捨ててくるように家臣に命じます。
その16年後、自分の過ちを悔いて贖罪の日々を送るレオンティーズは、娘パーディタとの再会、幼馴染であったボヘミア王ポリクシニーズの息子フロリゼルとパーディタとの結婚、そして妻ハーマイオニの復活と夫婦の和解でお芝居の幕を閉じます。
その16年後、自分の過ちを悔いて贖罪の日々を送るレオンティーズは、娘パーディタとの再会、幼馴染であったボヘミア王ポリクシニーズの息子フロリゼルとパーディタとの結婚、そして妻ハーマイオニの復活と夫婦の和解でお芝居の幕を閉じます。
当然、実際にはこんな単純な話ではなく、途中でいろいろなことが起こります。何よりもこのお芝居の見どころの一つは「死んだと思っていたハーマイオニが生きていた!」という最後の感動的な場面なのですが、それがどんなふうに明らかになるのか。それはぜひご自分で確かめてください。
このお芝居を観ていて、いつも私が面白いと思うのは、16年後に場面が変わる際に現れる「時」という名前の登場人物です。観客(読者)に向かって、自分は「時」であると名乗って、あれから16年が経ったと説明をするのです。「時」はこんなセリフを言います。「一気に飛び越す十六年、時が大きく隔てるうちに生じたことは、説明せずにおきますが、目にも留まらぬ一足飛びをお咎めなきよう願います (4幕1場)」。
▲松岡和子訳『冬物語』(ちくま文庫)
そもそも「時」が人の姿で現れるというのも、十分おかしいと思われるかもしれません。さらに、ここで「時」は、一瞬のうちに16年も時間が経つのはおかしいと観客や読者が思うことは百も承知で、怒らないで受け入れてほしいと言い、それ以上細かい説明はしないのです。「その16年間に何があったんだ?」などという野暮なことは聞かないで、「こういうもんだ」と思って見てくれというのです。「あり得ない!」と興味を失いますか?ところが、この『冬物語』は、ここからの後半も目の離せない面白さで進み、最後には感動してしまうから不思議です。でもどうしてでしょう?
アポロの神託の話が出てきたり、熊に襲われたり、そして最後は16年前に死んだはずのハーマイオニが生き返る。まさに「荒唐無稽」という言葉がぴったりに思える『冬物語』を楽しめる主な理由は、たぶん「そんなバカな」ということを隠そうともしないからだろうと思います。「時」が出てくるのもそうですが、幼馴染と妻との浮気を疑うレオンティーズについても、「ありえないだろう?」と思えそうなことを、表面的な「本当らしさ」などみじんも気にしないで、どうどうと主張されると、気にならなくなるのです。特にそれが目の前で(そこそこの名優に)演じられると、大して疑問も感じないで、夢中になって楽しんでしまう。たぶん、そこにこのお芝居の一番の醍醐味があるのです。おそらくお芝居をはじめ、フィクションの面白さはそこにあるのでしょう。
ところで、以前は『冬物語』は『冬の夜ばなし』という翻訳されていました。どうして、「夜ばなし」だったのでしょうか?
2幕の前半で、母ハーマイオニに「ここに座って、さ、お話をしてちょうだい」と言われて、レオンティーズの幼い息子マミリアスは次のように答えます。「冬には恐い話がいいんだけどな。僕、妖精や鬼の出てくるお話知っているよ (A sad tale’s best for winter. I have one of sprites and goblins. 2.1. 25-26.)」。
シェイクスピアの『冬物語』の原題はThe Winter’s Taleなのですが、winter’s talesあるいはa winter’s taleというと、長くて退屈な冬の夜に、暖炉のそばなどで語って聞かせるオハナシのことなのです。日本語にも「話伽:面白い話をして夜のつれづれを慰めること(広辞苑)」という言葉がりますが、どちらかというと「御伽噺:非現実的な話、夢物語(広辞苑)」に近いかもしれません。
さて、『冬物語』がちょうど1月21日から2月12日まで、7回だけですが、SPAC(静岡舞台芸術センター)で、宮城總の演出で上演されます。東京近郊に住んでいる方は、静岡?と思われるかもしれませんが、世界的に高い評価を受けている宮城氏と役者たちが創り上げるとても楽しい舞台に出会えるチャンスです。お芝居を観に静岡に行くこと自体が、『冬物語』体験の一部になるはずです。寒いこの冬だからこそ、冬物語を観に行きませんか?
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