それを読み解くキーワードが「場の解体された」ソーシャルメディアです。要はユーザーひとりひとりが別々の画面を見ていることを指します。みな別の人をフォローしているからタイムラインはそうなりますね。
2ちゃんねるなどの掲示板システムではみな同じ画面を見て、そこに書き込みます。ソーシャルメディアでもミクシィにはコミュニティページがあり、皆が同じページ内容を見ています。つまり「場」がある。フェイスブックもニュースフィードは各人別々ですが、自分の友人は相互承認による固定的なもので、ある程度誰に向けて書いているかを意識します。けれどもツイッターは見ている画面が別々な上に、フォロワーも変わる。
トケコミ教員チームによる調査(いずれ本にします)では、20以上のツイート内容によって想定される読者にほとんど変化がありませんでした。しかも「フォロワー全員を読み手と想定してツイートする」よりも「フォロワーの一部を読み手と想定しツイートする」よりも「読み手を特に想定することなくツイートする」という回答が一番大きな割合を占めました。
このような読み手を想定せずに、まさに「つぶやく」タイプのコミュニケーションを「エゴコンテクスト・コミュニケーション」と呼ぶ人がいます。「コンテクスト」とはそれぞれが持つ事情、状況。「エゴ」は自分本位のと考えればよいでしょう。自分本位の事情でつぶやいて、あわよくば反応してもらうタイプのコミュニケーションです。
なるほどツイッターはこのタイプのコミュニケーションに親和的です。私の周りにいる学生の言葉を借りれば、
伝えたいことがあれば、特定の相手よりもたくさんの人に伝わるほうがいい。知り合いじゃなくても、誰か趣味やノリが合う人が反応してくれれば単純にうれしい。となります。
そんな「エゴコンテクスト・コミュニケーション」をめぐって、1月14日の「トケコミトーク」では議論が行われました。
私(佐々木)や西垣教授はウェブサービスやスマホの影響力を重視し、「相手に対して踏み込まないタイプのコミュニケーションが増えた」「若者は友人からの評価、つまり横からの評価を気にしすぎる。それが特にネットでのエゴコンテクスト・コミュニケーションを生んでいるのでは」と語りました。
一方、柴内教授は95年に出版された『やさしさの精神病理』を引きながら「『ホットなやさしさ』『ウォームなやさしさ』というのがあって、後者はあまり深く詰め寄らずに放っておく優しさ。つまりそういうコミュニケーションはポケベル時代からあったのでは」とコメントしました。
ここではその後のやりとりは書きませんが、若者のソーシャルメディア利用は、メディア・コミュニケーション研究の一領域ですし、実際このようなテーマで卒論を書く学生も多いです。テレビやネットなどのメディア研究がさかんなトケコミでは、メディア接触するうえで私たちが気をつけるべきエッセンスを学べます。
というわけで、こんな話に興味のある学生をトケコミではお待ちしております。
関連:学生記者による「トケコミトーク」取材記事(リンク):
http://www.tku.ac.jp/news/014833.html
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