桜井哲夫
彼の代表作が『明治事物起原』で、明治41(1908)年1月1日に初版が刊行されている。その後、増訂、改訂版がいくつも出たが、以下で使用するのは、ちくま学芸文庫版(全8巻、1997年、品切れ)である。
明治期に日本の政治、経済、社会風俗が大きく変わったのだが、この本は変動の出発点を執拗に追求して記述しているために、貴重な資料集として知られている。
正月元日に初版が出版されたこの本に出てくる「正月」をめぐるお話をいくつか書き出してみよう(以下、出典は、ちくま学芸文庫の各巻)。
★「元旦の唱歌」(第3巻収録)
明治24(1891)年、6月17日、小学校の祝祭日の儀式についての規定をもうけたのだが、その中に「教員、生徒が祝祭日に唱歌を合唱すること」という項目があった。何を歌うのかは決めていなかったので、あわてて10月20日に祝祭日の歌を決める委員会(祝日大祭日歌詞及楽譜審査委員会)をつくって「君が代」をはじめとして12曲を決めたそうである。
そして1月1日の歌は「年の始めの例(ためし)とて 終(おわり)なき世のめでたさを 松竹(まつたけ)たてて門(かど)ごとに 祝(いお)う今日こそ楽しけれ……」(歌の題名「一月一日(いちげつ・いちじつ)」)に決まった(作詞・千家尊福(せんげ・たかとみ、出雲大社の宮司)、作曲・上真行(うえ・さねみち、東京音楽学校教授))。
明治26(1893)年に、文部省によって「小学校祝日大祭日歌詞並楽譜」の中で発表されている。だが、正月のテレビの新春番組でメロディが流れることはあっても、今ではこの歌をどれだけの大学生が歌えるだろうか。
どちらかというと、この歌よりは「お正月」(東くめ作詞、滝廉太郎作曲)のほうが有名ではないだろうか。こちらなら、誰でも歌えるだろう(♪「もういくつねるとお正月、お正月には凧あげて……」)。この歌は、明治34(1901)年に出版された『幼稚園唱歌』でおおやけにされた。
滝廉太郎(たき・れんたろう、1879 - 1903)は、「荒城の月」で有名な作曲家だが、さて作詞した「東くめ」(ひがし・くめ、1877 - 1969)という女性をご存じだろうか。
この女性は「鳩ぽっぽ」も「雪やこんこん」も作詞しているのだが、一般的にはほとんど知る人はいないかもしれない。この人は、東京府立高等女学校(現:東京都立白鴎高等学校・附属中学校)の音楽教員をしていた女性で、東京音楽学校(現:東京芸大音楽学部)で2年後輩の滝廉太郎と組んで童謡を作っている。
作曲者の滝は、明治36(1903)年に夭逝している。しかし、彼女は昭和44(1969)年まで長生きしたので、曲の著作権は切れてパブリック・ドメインに入っているが、歌詞のほうだけ2019年まで著作権(作者の死後50年)が存続している(だから、ここですべては引用できない)という不思議な運命の歌である。
閑話休題、余計なことだが、「元旦(がんたん)」は1月1日の朝のこと、「元日」はその日全日のこと。今ではごっちゃになってしまっているようだが。
★「年賀状特別扱いの始め」(第5巻収録)
年賀状も若い世代では、メールですませるようになってきてしまい、年々年賀状の販売枚数は下がる一方だ。さて、年賀状が元日に届くためには、12月25日までに出しなさい、とされている。このような年賀状の特別扱いというのは、いつから始まったのだろうか。
『明治事物起原』によれば、年末年始に集中する年賀状のために混乱するので、これを防ぐべく、12月15日から年賀状投函を受け付け始めた。そして、これにさっさと1月1日の消印を押して元旦に配布することになったのは明治39(1906)年末からなのだそうである。意外に遅かったのですね。
ついでなので、年賀状の発行枚数の推移を調べると、近年のピークは2003年の44億5936万で、2015年8月31日発表の発行推定値によれば、2016年度用は30億2285万枚らしい。一人あたりの投函数は、2003年には34.9枚、2015年は23.8枚なのだそうだ(http://www.garbagenews.net/archives/2114695.html参照)。
★「新年宴会の始め」(第7巻収録)
明治5(1872)年正月5日、6日に天皇が宮中に多くの高級役人を召集して新年宴会をしたのが始めだそうである。明治8(1875)年からは、宴会日が5日と決まって、以後5日に開催されるようになった。当然ながら、第二次大戦後、廃止になっている。
なお、明治6(1873)年に、12月29日から1月3日までを官庁の年末年始休暇にすることが決められたようで、役人でも下々の新年宴会は期日が決まっていたわけではなかったようですね。
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