2016/06/19

【学問のミカタ】「乗り物」をデザインする力

こんにちは、佐々木裕一です。どういうわけか今月2度目の登場です。

「乗り物」と言われると、友人と一緒に紙の時刻表片手に国鉄で旅していた少年時代を思い出します。列車を写真に収める趣味はなく、いかに列車をうまく乗り継いで複数の場所を回るかというパズルを解く感覚で計画を立てるのが好きでした。宿泊するのがたいてい安ユースホステルだったので、この日はここまで行かないといけないという制約がそういう趣味を育んだのかもしれません。 

さて、そんな私が「乗り物」という言葉を改めて意識したのは、広告会社の1年生社員としてキャンペーン計画を立てるようになった時のことでした。自分なりに全体予算をテレビや雑誌に振り分けて考えている時に先輩にこう言われたのです。「ビークルは?」。

告白すると、私はこの時「ビークル」の意味がわからなかったのですが、それは雑誌名を意味していました。つまり、ビークル=Vehicle=乗り物だったのです。情報を乗せる「乗り物」というわけです。広告やマーケティングの世界では、テレビや雑誌やインターネットといった次元での分類は「メディア」、それよりも具体的な「Seventeen」「non-no」あるいは「週刊文春」という次元での分類を「ビークル」と言います。

コミュニケーション学でも、「乗り物」であるメディアとそれに乗るメッセージを別に考えます。と同時に、マーシャル・マクルーハンというメディア学者は「メディアはメッセージである」と言いました。つまりメディア自身が何らかの意味を持つメッセージを発しているという考え方です。テレビというメディアで発信すること自体が意味を持つということです。

デザインを勉強する人は必ずお目にかかかるジェームズ・ギブソンという心理学者は「アフォーダンス」という考え方を唱えました。彼は、私たちが椅子に座る時には、椅子という形を持ったものが私たちに座ることを促している面があると考えました。環境が行動を促すという考え方です。みなさんが普段使っているスマホにアフォーダンスの考え方を当てはめれば、その小さい画面によって私たちは長い文章を書かないように、あるいはスタンプを使うように促されていると考えることができます。

この椅子は座ることを促して(アフォードして)いますか?


話を国鉄に戻すと、その時代、駅にむやみに広告を表示するのは御法度で、乗客に対するわかりやすい案内が何よりも優先されていました。1987年に民営化された後、駅の階段や電車の側面がメッセージの「乗り物」になるのは1990年代半ば以降からですし、ホーム上にしゃれたお店ができるのは2000年代から、「乗り物の中の乗り物」であるドア上広告に電子スクリーンが使われるようになるのは2010年代からです。

スマホアプリの画面にも様々なデザインがありますが、デザイナーは、どのようにすればユーザーが使いやすいかと、いかに脇に表示される広告も目にしてもらえるかの狭間で悩んでいます。最近驚かされたのはパナソニックが自社ウェブサイトで他社向けに広告の販売を始めるというニュースです。広告主と言われる人たちが「乗り物」をデザインして広告を売る側にも回る時代となったわけです。 

このように新しい「乗り物」をデザインする活動は、ここ10年ほどで驚くほど領域を広げています。これは「乗り物」が多様化しているからに他なりません。そして、であるからこそ、私たち利用者も「乗り物」がどのような考えでデザインされ、提供されているのかを意識しないといけません。なぜならば、デザインした側の思惑通りに、そこにひたすら長居して時間を無駄にするわけにもいかないからです。

「乗り物」を少し拡大解釈すれば、SNSで誰とつながり誰からのメッセージを受け取るかという環境を作っていくことも、身近な「乗り物」のデザイン作業と言えるでしょう。これは豊かにそして知的に生きるための基本スキルになりつつあります。

つまり、誰にも「乗り物」のデザインする力が求められるのが今という時代なのです。

【学問のミカタ】
 今月の共通テーマは「乗り物」です。



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