2017/06/11

新任教員紹介 VOL.2 新井一央さん


 私が「私になる」ために…
みなさん、こんにちは。 
新任教員としての自己紹介は、とても気恥ずかしい新井です。なぜなら、すでに8年ほど前から学習センターの委託講師として「TKUベーシック力」をはじめ各種講座を、また4年前からは現代法学部の非常勤講師としてプレゼンテーション技法基礎やコミュニケーション学部のキャリア系のワークショップを担当。「新任」とはあまりに厚かましくありませんか。とはいえ、みなさんに改まってお話しできるチャンス。よろしくお願いいたします。

 さて私の業務の中心は、2017年度より新設された「キャリアデザインプログラム」の学生へのキャリア支援です。ワークショップや面談を重ねながらの支援です。このプログラムは入学時に学部選択に迷っている、社会科学系の基礎科目を広く学びたい、自分の可能性をじっくりと見極めて進路選択をしたい、4年間継続してキャリア関連科目を受講したい、というみなさんに最高のプログラムを提供します。少人数のワークショップを通じて、仲間や私たち教員と一緒にキャリア形成の足掛かりをつくりましょう。

 ところで話は飛びますが、先日、妻に誘われて三菱一号館美術館で開催されていた「オルセーのナビ派展」に足を運び、ひと時を楽しみました。

今年3月まで芸術学部で教壇に立っていた私。でも絵画への造詣は微塵もありません。音声ガイドを頼りの初心者。そんな私が「キャリアの節目でさまよう学生の姿」とイメージが重なりふと足を止め、吸い込まれた一枚の絵画をご紹介します。

 
 (ガイドとチケットです)

1865年生まれのスイス人画家フェリックス・ヴァロットンFélix Edouard Vallotton)の「ボール」Le Ballon 1899年)という作品です。 この絵に魅せられた私は、見学コースを歩き終えたあと、ポストガードとそれを飾るためのミニチュア・イーゼルを購入。迷える学生の象徴として研究室に飾り、自分への戒めとしています。


それは白い服の少女が、無心に赤いボールを追っている絵です。少女は木々に覆われた影の切れ目にいます。ぽっかりと光がまぶしく感じられる場所。少女の後ろに広がる影。その実態である森を私たちは見ることができません。少女にもそんな森の実態も影の存在も目に入っていないはずです。目には前方に転がっていく赤いボールだけ。この絵に無邪気な可愛らしさと、危うさや迫る影を感じました。
  (購入したポストカード)

社会は若い人たちが夢(ボール)を追うことを「よし」とします。自分の「やりたいこと」(ボール)探しを勧めます。見つからないときは「自己分析」。でも夢が持てない、やりたいことが見つからない人に「自己分析」は有効でしょうか。赤いボール(夢ややりたいこと)を見つけるために森をさまようのは危険です。かりにボールを発見できても周囲への観察を怠ると、天候の急変や深く迷い込み抜け出せなくなる危険も。

 社会の変化が激しく、先の見通しが困難な現代。大切なことは、ボール探し以上に「時代を認識する目」を養い、時代のなかで私を確認することです。無心にボールだけを追いかけられるのは、誰かに見守られている幼子の特権。この絵の奥には大人二人の存在が確認できます。でも決して少女を見守っていません。社会や他者との関係から切り離され、自分の居場所に無頓着でボールを一目散に追いかける少女に、自分を見失い進路に迷う若者の姿が重なります。

 大学は学びや出会い、体験の積み重ねを通じて「時代を認識する目」を養う貴重な場所です。内なるボール探しの前に外なる社会に目を向けましょう。外との関係のなかでこそ、きっと新しい私(ボール)を発見することになります。


 

ちなみに上のバラは美術館の中庭に咲いていたバラです。社会心理学者のエーリッヒ・フロムは『よりよく生きるということ』のなかで「バラの木の目的は、バラの木のなかに潜在的可能性として備わっているすべてになるということ」と言っています。
私たちが生きる時代を捉え、みなさんのなかにある潜在的可能性として備わっているものすべてになるために、ともに学びましょう。

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