2017年6月21日水曜日

2016年度国外研究報告〜長谷川倫子さん


2016年度国外研究報告

20164月から20173月まで、サバティカル(研究休暇)で英国のロンドンに暮らす機会に恵まれました。研究テーマが「若者文化とメディア」でもあり、1960年代における若者文化発信地の一つでもあったロンドンを研究拠点の第一候補にしました。しかしながら、先輩や海外の友人からの事前のアドバイスで繰り返し聞かされたのは、英国ならではの入国ビザ申請手続きの煩雑さに加えて、受け入れ研究機関と住宅探しの大変さでした。

確かにビザの手続きは想定通りでしたが、偶然の出会いに幸運が重なり、ロンドンのほぼ中心に位置するブルームズベリー地区にある、いわゆるSOAS(ソアス)という略称で知られているロンドン大学東洋アフリカ研究学院の日本研究所が受け入れてくださることになり、フラット探しも何とかクリアで、1年間の研究活動を終えて無事に帰国することができました。

トケコミブログ・デビューにあたり、簡単ではございますが、研究活動のベースキャンプとしてお世話になりましたSOASを、筆者なりの目線からご紹介させていただきたいと思います。

まず、所属機関の第一志望としてSOASを希望したのは、ここが英国における公立の教育機関による日本語教育のパイオニアであることを知っていたからでした。

ちなみに、筆者が滞在した2016年に、SOASは創立100周年を迎えました。西暦43年にやってきたローマ人によってつくられたシティを中心に発展し、壮大な歴史を物語る建造物や文化遺産が随所にあふれるロンドンの基準からは、「たかだかこの100年を語り伝えるもの」に過ぎないのかもしれません。それでも、貴重な共有財産を次世代やそのもっと後の人たちに残すためにはどんな努力をも惜しまない英国人の精神こそ、暮らしてみて初めて知り得たことでした。

その開学以来、日本語のクラスが開講されていた英国唯一の教育機関であったSOASでしたが、大きな転換点となったのは第二次世界大戦(19391945)でした。とりわけ19422月のシンガポール陥落をきっかけに、当時不利とされていた連合国の前に、大英帝国がその威信をかけて闘わなければならない国として日本が急浮上しました。通信の傍受、押収した書類の翻訳、捕虜の訊問など、前線で日本語を使える人材の不足は致命的で、その育成は待ったなし。いわば、日本語に精通したエキスパートの養成は国家的な急務となり、英国政府から委託されたSOASがこの役割を担うことになりました。

19425月、急遽(きゅうきょ)開設された特別日本語コースに集められた、グラマースクールのシックス・フォーマーたち(17歳。日本の高校3年生に相当)は、そのキャンパスの地名にちなみ「ダリッジ・ボーイズ」(Dulwitch Boys)と呼ばれました。日本語の特訓期間は15か月か18か月間。彼らはコース・ワークを修了すると、程なく前線に送られ重要な役割を担います。

今日のように優れた教材があるわけでもなく、すべてが試行錯誤の船出でしたが、新規採用の教員たちも、この日本語教育に国家の将来が託されていることは熟知していました。そんな中に、両国の狭間にありながら、日本人としての誇りを失うことなく英国の若者たちに日本語を教えた女性がいました。日本で出会った英国人の夫であるフランク・ダニエルズ先生と一緒に教壇に立つことになったおとめ・ダニエルズ先生でした。敵国の言語を叩き込まれた学生たちでしたが、最後には日本文化と日本人をレスペクトするまでになったと記録されていますが、熱意あふれた講師陣のなかでも、この「おとめ先生」の貢献は、はかり知れないものがあります。

戦争という英日関係史の負の部分がもたらしたSOASの日本語教育でしたが、その真価は戦後に証明されました。1942年(昭和17年)から1947年(昭和22年)までにここで学び、終戦で兵役から解放された648名のダリッジ・ボーイズは、外交、ビジネス、教育など、それぞれがその置かれた場所で日本語を活用し、戦後は両国の懸け橋となってくれたのです。

2016年の2月に、SOASでは日本語教育開始100周年を祝うシンポジウムが開催されました。SOASで日本と出会い、今は各界で活躍する各世代のOBやOGが一同に会した中でも、参加者たちを最も喜ばせてくれたのは、檀上のパネリストに加わった日本でも著名な社会学者ロナルド・ドアー先生でした。この日はまた、ダリッジ・ボーイズのお一人でもあったドアー先生の91歳のお誕生日でもあり、「女性の先生が本当に素敵だった!」と、一期生として日本語の手ほどきを受けた青春時代を回想されていました。

嬉しいことに、今日においても、SOASにはあの「おとめ先生」の精神が脈々と受け継がれています。東京で出会ったご主人とともに英国に渡り、その生涯のほとんどをSOASの日本語教育に捧げていらっしゃるある日本人の先生に食事会でお会いしました。偶然ですが、大学の先輩だったこともあり、SOAS恒例の日本語のスピーチ・コンテストでは、縁の下の力持ちとして東奔西走している先生を拝見し、また、折につけ、SOASで日本語を学ぶ学生さんたちのエピソードをお聞きできたのは何よりでした。このような方たちの日々の積み重ねがあったからこそ、100年にもわたり日本語教育の最高峰であり続けることが出来たのだと納得しながら、伝統の重みを感じずにはいられませんでした。

今この時間にも、日本が世界の人びとを魅了する磁場であり続けるよう、たくさんの「おとめ先生」が世界のどこかで活躍し、日本ファンが育ってくれていることでしょう。今は国分寺の教壇にもどった筆者ですが、SOASでの1年間を振り返りながら、トケコミの学生さんたちに少しでも海外に関心を持っていただけるよう、サバティカル前以上に研鑽を重ねようと心に誓う毎日です。

<参考文献>
大庭定男『戦中ロンドン日本語学校』(中央公論社、1988年)
Oba, Sadao translated by Anne Kaneko, The ‘Japanese’ War: London University’s WWII secret teaching programme and experts sent to help beat Japan (Routledge, 2015)

ブロガーの自己紹介:
コミュニケーション学部 長谷川倫(とも)子   
専門はメディア史ですが、トケコミでの担当は「マス・コミュニケーション論」です。帰国子女でもないし英語圏のDNAもおそらくゼロパーセント(0%)ですが、海外への憧れから続けてきた英語学習と雑学が役に立ちました。研究テーマは「若者文化とメディア」、「戦時期のプロパガンダ映画」等です。

 
     
SOASの正面玄関にて:通りからみると古めかしい外観でも、一歩足を踏み入れると、その奥にはおしゃれなインテリアに最新のネット環境も整えられている空間が迎えてくれるというのはロンドンの定番です。ここSOASでも、クラシックな建物が教育・研究活動の拠点として十二分に活用されていました。

      
SOAS創立100周年記念のバナー:夜遅くまでキャンパスは活気にあふれています。

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