広告論、コミュニケーション戦略論、コンセプトと表現、メディアクリエイティブ
ワークショップ担当の大岩です。
3月23日は卒業式。4年生のみなさん、ご卒業おめでとうございます! この4年間で、みなさんなりの学問のミカタを発見することはできたでしょうか?
学問のミカタ。「ミカタ」という言葉の響きの中には、いろいろなニュアンスが込められていると思います。
次に「味方」。私はあなたのミカタです、の意味で使うときに「味方」と書きますが、これはどうやら「御方」の当て字のようです。ですので、通常の「味方」の使い方とは異なるとは思いますが、私は「味方」と書かれているのをみると、まさに「味わい方」、じっくりゆっくり口の中全体で味わい尽くす感じを思い浮かべてしまいます。
新米教員の私ですので、まだまだ学問のなんたるかを語れる立場にはありませんが、学問に対するスタンスには「見方」と「味(わい)方」、このふたつの要素の組み合わせがとても重要な気がしています。鋭く事象を切り取るためのトリミング力と、すべてのディテイルを万遍なく咀嚼し吟味する力。
私は長年、広告のクリエイティブ畑で仕事をしてきましたので「表現すること」のかけがえのなさは十分知っているつもりですが、同時に「表現すること」の危うさや未熟さも痛感してきました。クリエイティブの世界では「オリジナリティ」こそが全て。でも、この「オリジナリティ」というのが実に曲者でありまして、ついつい私たちはこの言葉の使い方に気をよくして、狭義な「恣意性」に陥ってしまうこともなきにしもあらず。で、それを諫めてくれるものこそが学問なのではないか。大学教員を一年体験した今、私はそんなふうに思っています。
座右の銘にしている言葉があります。敬愛するアーティスト、ブルーノ・ムナーリが「木をかこう」(これを尊敬する須賀敦子さんが訳しています)という絵本の文末に書いた次のような言葉です。
むかしの中国のえらい人が、いったそうです。
「完全なもの」は美しいが、ばかげている。
「完全なもの」をつくりあげたら、
あとはそれをこわしてしまえ、と。
ばかげている、とか、こわしてしまえ、という言葉は必要以上に強く聞こえてしまいがちですが、でもよくよく考えてみると、つくっては壊し、壊してはつくる。……人生とはその繰り返しなのかもしれませんね。常に柔軟に変化することをいとわない。そのための価値観・美意識を養い続けることこそが学問のミカタなのだと私は思います。
今年の卒業式は3月23日。この日は偶然にも私の誕生日でもあります。自分の誕生日にみなさんにおめでとうと言えるなんて、誕生日冥利(?)に尽きるというもの。むかしだれかにいわれたことがあるのですが、誕生日はお祝いされる日ではなく、改めてみなさんに感謝し、みなさんをお祝いする日なのだと。これも視点の切り返しのひとつだと思います。
4年生のみなさん、特にゼミ生のみなさん、一年間、ほんとうにありがとうございました。年の功で、人生の辛酸はみなさんよりはかなりたくさんなめているつもりですので、社会に出てからも「学問のミカタ」のみならず「世の中のミカタ」、なんなりと相談に来てくださいね。いつでもみなさんのミカタになりますので。
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