2016/09/05

水の場所

芳賀 啓之潮社主、コミュニケーション学部客員教授)

 東京経済大学国分寺キャンパスに存在する湧き水といえば、新次郎池

 「東京の名湧水57選」のひとつに数えられ、北澤新次郎元学長の名を冠したこの国分寺崖線下の湧水池には、かつては常に清冽な地下水が注ぎ込み、ワサビ田でもあったといいますが、今日では湧き水を目にできるのは1年のうちでも限られた時期だけとなってしまいました。
 
 桜の時期から夏の盛りにかけては、大きな水溜り状態となる新次郎池ですが、8月もはじめ頃には、池の周囲に野生絶滅種とされるキツネノカミソリの橙色の六弁花をいくつか見かけることができました。

 8月、夏休みでひっそりとしたキャンパスの、さらにひっそりとした池の森には、今を盛りと咲いているクサギの甘い香りが漂い、クロアゲハが一羽、池の干上がり際にとまっていました。

 限られた期間しか湧水を見ないといえども、ここにはまだ野生がいくらか残されている。その証拠に「まむしに注意」の表示板が、池に下りる径の傍らに設えられています。

 都会の片隅に野生が辛うじて生きながらえているとすれば、人間やカラス、ネコなどの天敵の襲撃を免れ、採餌を維持し、番う相手もいて、めでたくここまで代をつないできたわけです。注連縄は蛇の交接を形象化したもので、実際のそれは27時間もほどけない情熱的なものといいます(吉野裕子『』、講談社学術文庫、1999)。蝉しぐれのなかで、「ここ」におよぶ何億年かの生命のシークエンス・ドラマを想像するとまことに不思議な気持ちにさせられます。

 ところで、都内の著名な湧水池としては、東大本郷キャンパスの三四郎池、明治神宮の清正井(きよまさのいど)、井の頭公園の井の頭池などが挙げられるでしょう。

 このうち、自然の水で涵養されているのはたったひとつ、清正井だけ。神宮の森は明治の終わりにつくられた人工の森ですが、その面積と独立した地形が雨水を集め、都心にあっても辛うじて地下水層を維持できているからなのですね。

 そのほかの池は、善福寺池や石神井公園の三宝寺池も、そうして葛飾区にある23区最大規模の水郷公園である水元公園の水ですら水源涸渇の結果、電動ポンプで地下水を汲み上げ、それを循環させて水景観を維持しています。都立中央図書館のある有栖川公園の池水も、国分寺駅前殿ヶ谷戸庭園の水も例に漏れない。寅さんの産湯となった帝釈天の水も、お参りすれば手水鉢から常に溢れているものの、それはポンプアップ水。東京の池水公園のほとんどは「電動景観」と言って間違いではないのです。

 清正井のほかに、私たちに身近なところで今なお常時豊富な水量を確認できる自然の湧水には、国分寺の真姿の池の湧水群や、国立市のママ下湧水群などが挙げられるでしょう。新次郎池は、限られた時期とはいえ池に注ぐ地下水が見られ、それ以外の時期でも池の水がすっかり涸れあがってしまうということはありません。じわじわとでも、崖(国分寺崖線)からの水は供給されています。新次郎池の湧水は、すくなくともポンプアップされた「偽物景観」ではない。けなげにも、いまだ生命を維持している湧水池というべきでしょう。

 水問題を専門とする守田優氏は、井の頭池の湧水が涸渇したのは「一九五〇年代から始まる武蔵野台地の急激な被圧地下水開発が原因である」と断言しています。つまり一般に都市化が雨水浸透域を減殺すると考えられているけれども、すくなくとも井の頭池の場合はそうではないと。深井戸を水源とする武蔵野地区の水道開発がすすみ、「水循環不全」をひきおこされた。深層の被圧地下水を汲み上げると、浅層の自由地下水にまで影響して、湧水は涸渇するというのです(『地下水は語る』、岩波新書、2012)

 翻ってわが東京経済大学の水環境を見てみれば、現在なおキャンパス内で供給される水のすべては250メートルもの地下から汲み上げる深層地下水であって、この地下水利用は赤坂葵町から国分寺町(当時)に移転してきた1946年以来70年に及ばんとしています。現在キャンパス内ところどころにおかれている「ピュア・ウォーター」機はその賜物にほかなりません。

 国分寺町にはじめて上水道システムが完成し、送水が開始されるのは1960年。町に市制が施行されるのは1964年で、1975年に水道事業をすべて都に依存するようになったとはいえ、国分寺市の供給上水量の約半分以上は今なお国分寺町が開発した水源(東恋ヶ窪と北町の2ヶ所)から汲み上げている地下水です(『国分寺水道50年』国分寺市環境部水道課、1975)

 国分寺市域に水道が普及する以前、浅い深いの差はあっても人々は基本的に井戸水ないし湧水(いずれも地下水)に全面的に依存していたわけです。

 そうして、例えば日立中央研究所(1942年創立。国分寺市東恋ヶ窪)や、リオン旧小林理研製作所。44年創立。同東元町)など、水道普及以前に国分寺市域に創設された企業は東京経済大学と同様、いまだ独自の水源を生かしているところは少なくないと考えられるのです。

 国分寺市域、そして東京経済大学の地下水揚水量などの数字を挙げるのはまたの機会として、ここでは新次郎池の「半死半生」の現状が、このような「地下水利用」と関係があるかもしれないということ、私たちがキャンパス内で使うトイレの水にも、それは関係しているかもしれないという可能性を指摘しておくにとどめましょう。

 往古「水の神」に擬され、そして今日でも私たちがその擬制から恩恵を受けている(「蛇口」)ヘビたちが、すくなくとも今世紀にわたってその生を紡いでいくことができるよう、私たちは「水の場所」を大切にしていきたいものです。



12月3日(土曜日)、市民大学講座(国分寺市との共催)で「地図と文学」を講じます。詳しくはこちらをご覧ください。

2016/09/01

【学問のミカタ】文化としての食


 飽食と飢餓

 コミュニケーション学部では「現代文化論」を担当しています。

 「現代文化」というと学生たちは音楽やスポーツ、あるいはマンガやゲームのことを思い浮かべるようですが、僕が授業で主に話すのは「衣食住」と「ライフスタイル」に関連したことです。「文化」は「カルチャー」の訳語で、その語源には「耕す」という意味があります。つまり「文化」とは、基本的には「食べる」ことを含めて、人間が生存のためにしてきた独自の工夫の集積を表すことばなのです。で、「食」も数回にわたって話すことにしてきました。

 今は飽食の時代です。飢える経験をした人は日本ではほとんどいませんが、逆に食べ残したり、賞味期限切れだと言って捨ててしまったことは誰にでもあるでしょう。日本の食糧自給率は半分以下で、毎年5500万トンの食料を輸入していますが、また年間1800万トンを廃棄しています。金額にすると11兆円で、その処理にまた2兆円を使っています。

 他方で世界には飢餓のために死亡する人が年間1500万人もいて、その7割以上が子どもだと報告されています。これは私たち日本人が「食」を考える上で、避けることのできない問題だと言えるでしょう。アフリカから始まった「MOTTAINAI」キャンペーンは世界共通語を目指していますが、肝心の日本では「もったいない」はすでに「死語」と化していると言うはかはありません。

 食と人口の爆発

 ところで、現在の世界人口は70億人を超えましたが、その増え方はどんなものなのでしょうか。

 たとえばコロンブスがアメリカ大陸にたどり着いた頃の人口は3億人程度で、その半分以上はアジアに住んでいて、4分の1がアメリカ大陸、5分の1がヨーロッパだったようです。それが3世紀後の1800年には10億人に増え、1900年には20億に達し、2000年には60億人を超えました。このまま増えていくと2050年には90億人を超え、今世紀の終わりには100億人に達すると予測されています。

 この500年で人口が24倍に増えたのは食料生産技術の進歩によりますが、それ以上に大きいのは、食料にする植物や動物が、もともと生存していた地域を越えて「食料」として世界中に広まったことによります。チャールズ・C.マンの『1493(紀伊國屋書店)は、それを「コロンブス交換」と呼び、アメリカ大陸からヨーロッパやアジアにもたらされたり、逆にヨーロッパやアジアから世界中に拡散した動植物を詳細に分析しています。

 食のコロンブス交換

 たとえば南米からジャガイモ、中米からはトウモロコシがヨーロッパにもたらされ、サツマイモが中国に伝わって、そこからさらに各地にひろがりました。これらは主に貧民層の食料として必需品になっていき、飢餓を減らし、人口を増やす原因になりました。

 またサトウキビはアジア原産ですが、適した土地がアメリカ大陸で探され、ブラジルやキューバに大規模なプランテーションが作られました。このように原産地から離れて新たな生産地が求められたものにコーヒー、カカオ(チョコレート)、バナナ、椰子などがあります。

 あるいは牛や馬、豚、羊、山羊などが家畜としてアメリカ大陸に持ち込まれてもいます。アメリカ映画を代表した西部劇には大量の牛を移送する馬に乗ったカウボーイが出てきますが、馬も牛も移民が持ち込んだものでした。あるいはイタリア料理には欠かせないトマトは南米原産ですし、キムチや焼き肉に使うトウガラシも同様です。

 今ではすっかり嫌われものになっているタバコも、この交換によって世界中にひろまったもので、ここには煙を吸うこと自体が、特にインテリや芸術家、あるいは文学者等が好んだ新しい嗜好の仕方だったという特徴もありました。

 食文化とグローバル化

 いま日本では居ながらにして世界中の食べ物が食べられます。あるいは寿司や天ぷらといった日本食が、世界各地でブームになっていると言われています。まさに食のグローバル化ですが、しかし、世界各地の固有の料理も、その食材を吟味してみれば、上記のように、「コロンブス交換」以後に普及したものが少なくないのです。と言うことは、どんなものも人類の歴史の中ではほんのわずかに過ぎない数百年程度のものだということになります。

 あるいは和食を代表すると言われている天ぷらは室町時代にポルトガル人が持ち込んだ料理法だと言われています。庶民の大衆料理になるのは江戸時代で、その理由は江戸が侍にしても町人にしても圧倒的に男が多い偏った人口構成だったことにありました。手軽に食事を済ます「屋台」が普及したのですが、寿司も蕎麦も天ぷらもここから広まったのだと言われています。

 私たちが今日常的に食べている洋食や中華料理は明治以降に入ってきたものです。しかしカレーライスはインドのものとは大違いですし、スパゲッティ・ナポリタンはイタリアのナポリに行ってもありません。同様に中華丼や天津飯も、中国では注文できないメニューです。これらはあくまで、日本人の好みにあわせて作り上げられた和洋折衷の日本食と言えるものなのです。

 食から文化全般へ

 海外旅行を何度か経験して、あちこちでその地の食べ物を口にしてきました。カレーやパスタ、あるいはパンやチーズなど、日頃食べているものとの違いを実感しました。けれどもまた、外から入ってきた食文化を、日本人ほどうまく日本文化に取り入れた国民はないとも思いました。そしてこのような特徴は「食」に限らないことだということにも気づきました。外から入ってきたものを自国に合うように手を加えることこそ、日本文化の大きな特徴で、そのことはすでに多くの人によって指摘されています。

 たとえば小さく、しかも高性能にするという特技は、第二次大戦後の経済成長を牽引した家電製品や自動車に見られた特徴でした。しかしまた、この特技が携帯に代表される「ガラパゴス化」の原因だとも言われています。漢字を輸入してひらがなやカタカナを作り出した日本人はまた、明治以降に流入した外来語をカタカナで表記して、独特の使い方をするようになりました。もちろんそれは有効に機能した側面を持ちますが、カタカナ語はまたもともとのことばとは似て非なるもになって、日本人以外には通用しないものにもなっているのです。

 日本人にとってグローバル化が必要だとすれば、そのことの自覚からはじめる必要があるかもしれません。

 マルサスの罠を乗り越えるために

ところで、最初に述べた飽食と飢餓にもどって、今回の話を終わりにしたいと思います。「コロンブス交換」が人間の数を飛躍的に増大させたと言いましたが、イギリスの経済学者として有名なマルサス(1766—1834年)は、たとえ食料の供給量が増えたとしても、結局は人口増加が食料の供給量を追い越して、貧困や飢餓がもたらされるだけだと言いました。この「マルサスの罠」は、70億人を超え、やがて100億にもなろうかという人間をまかなう食料生産は不可能だという議論と共に、最近よく見かけることばになりました。

 日本は人口の減少を問題にしていますが、これから急増するのはアフリカだと言われています。貧しい国が豊かになろうとするのは当然ですから、増加を抑制するのは難しいでしょう。だからこその「MOTTAINAI」キャンペーンで、捨てる無駄をどうやってなくすかといったことや、食糧にするもの自体の新たな発見や改良が、そう遠くない未来に差し迫った課題になると言われています。ここにはもちろん、農薬や遺伝子操作などがもたらす問題も含まれます。あるいは「新自由主義」的な政治や経済がもたらしつつある先進国における格差の問題を、世界大のレベルでどう克服していくのかといった難問もあるでしょう。

 地球に住む人間がすべて、衣食の足りた生活を送れるようになるといった理想が現実化できるのかどうか。やがて人口増が抑えられて「マルサスの罠」が取り越し苦労に終わる世界になるのかどうか。21世紀が抱える最大の課題であることは間違いないでしょう。



・経済学部「料理こそ経済学!
・経営学部「世の中の需要の大きさは胃袋の数…
・現代法学部「貧しい食事
・共通教育センター「English Breakfastは、イギリスの朝ごはん?

2016/08/20

【学問のミカタ】「会社」はコミュニケーションの宝庫

 「広報論」担当の駒橋恵子です。8月のテーマ「会社」について書きます。

夏はオリンピックが盛り上がっていますが、選手たちを支えている「会社」の存在にお気づきでしょうか?
 選手が所属をしている会社や、CM契約をしている会社は、経済的サポートをしていますし、体操着や水着やラケットの素材、安眠を確保するベッドマットなど、選手と個別に相談しながら、多数の会社が製品提供しています。
 例えば卓球の某選手は、幼い頃からアスリートとして注目されていましたが、ある会社が成長に合わせてシューズのサイズを0.25cm刻みで調整してくれたそうです。
 多数の会社のサポートが、選手の活躍、ひいては史上最多のメダル獲得を後押ししたといえます。

ころで会社のことを一般に「企業」と呼びますが、みなさんは企業名を何社ぐらい(正確に)言えるでしょうか?

のゼミは、企業(コミュニケーション)コースの学生が多いのですが、2年生の最初の授業で、自分の知っている企業名を挙げてもらうと、15人ほどのゼミ生が順番に社名を言ってもらっても、50社くらいで尽きてしまいます。
 でも、日本には上場企業(誰でも株式を買える企業)だけでも約3500社あります。ヤフーやLINEも日本で上場している企業です。中小企業まで含めると、全国で380万にのぼり、すべての企業名を覚えるのは不可能です。

社のグループ企業でも、全部は挙げられないかもしれません。だからこそ、企業は自社のことを知ってほしくて、いろいろなメディアを使って情報発信するのです。そういう意味で、企業はコミュニケーションの宝庫なのです。

は、企業はどんな人にどんな方法で情報を発信しているのでしょうか。

ず、消費者向けの情報発信があります。広告や看板など、さまざまな手法を使って企業名や製品名をアピールしています。すぐに企業名が浮かばなくても、言われると「知っている」という企業がたくさんあるのは、企業努力の賜物です。顧客や取引先との対応などの日常的コミュニケーションも大切ですが、ロゴやキャッチコピーも重要です。
 最近は、WebサイトやSNSなどの「Owned media(オウンドメディア、自社所有の媒体)」を使った情報発信が充実しています。

に、組織内コミュニケーションがあります。大手企業であれば、グループ会社を含めて何十万もの人が働いています。従業員の一人一人が知恵と汗を出し合って仕事し、業績を上げるためには、企業の現状や方向性などの情報を従業員間で共有し、相互の仕事を理解し合うことが必要です。

らに、上場企業であれば、株価を適正に維持するために、投資家への情報発信(いわゆるIR)が行われています。会社法や金融商品取引法で義務付けられた財務情報の開示だけではありません。視覚に訴えるようなグラフや映像を作成し、決算説明会で証券アナリストに説明したり、Webサイトにアップしたりと、各社いろいろな工夫をしています。

のほか、地域住民や行政機関との関係づくりも重要です。工場の従業員が地域住民であり、消費者であり、という「企業城下町」と呼ばれる地域もあります。

のように、消費者・取引先・従業員・投資家・地域住民・行政機関など、企業を取り巻く「ステークホルダー(利害関係者)」とのコミュニケーションは、対象も手法も多岐にわたります。こうした幅広いコミュニケーションを考えるのが、「広報」という分野です。

京経済大学の卒業生は、会社の社長を務めている方が多く、全国の出身大学別社長数では34位にランキングされています帝国データバンク調べ、2015年)。この伝統が続いてくれればいいなあ、と学生たちの将来に夢を膨らませながら、日々の授業をしています。

経済学部「会社の利益は誰のもの?」
経営学部「販売会社ってなに?
現代法学部「世界で最初の株式会社って?
共通教育センター「会社=Company?



2016/08/06

被爆者の語りを英訳する【改訂】





今日、8月6日(8時15分)は広島に原爆が落とされた日。そして、9日(11時2分)には長崎にも落とされました。

 草野ハベル清子先生が2年前に寄稿してくれた記事のリンクと日にちを更新しました。草野先生は現在もコミュニケーション学部の非常勤講師として教育にあたってくれています。

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 私はこの数年来、長崎で原爆にあった人たちの語りの英訳をしています。8年ほど前に朝日新聞に広島長崎の被爆者のお話を英訳する人たちを募る記事が出ていました。すぐにやりたいと思いました。

 私は長崎市鳴滝町出身で、叔父、祖母(父方)などの親戚が被害に会っています。母は父が戦地に行ってしまい、私の兄と実家(大村市)で祖母(母方)と叔母と一緒に住むために長崎を離れていました。離れていると言っても直線距離で20kmほどです。

 小さい時から母と叔母から「ピカドン」のことは聞かされていました。彼女らの兄(私の叔父)が爆心地の浦上で被爆し、歩いて大村の家まで1週間かけて帰宅、それからの治療のことを聞きました。そして結局、白血病で私が6歳の時に亡くなりました。

 父方の母は家の前で浦上の方を向いていた眼を失明しました。それから親戚は祖母のことを「めーのばーちゃん」と呼んだそうです。母たちは20km離れていましたが、ピカッと閃光が走り、爆風を感じ、家のガラスが触ると熱かったと言います。近所の人々もみんな外に出て、「長崎ばい。見らんね。あの変か雲ば!」と、原子雲を外で見ていたのでした。

 母は、その雲がどんどん大きく、上に伸びて行き、真っ赤になったと私に教えました。それから毎日彼女らは海軍病院があった大村の駅に送り込まれた死体を一つずつむしろをひっくり返して、自分たちの兄(爆心地にいた)ではないかと調べに行ったとのことです。でも母は「女か男かも分からんやった。足の裏にはたくさんガラスの破片が入り込んどった」と、どうしようもなかったと言いました。

 その母も亡くなり、被爆者一世たちは高齢になっています。直接話が聞ける時間がなくなっていると思いました。

 私は自分になにかできないかといつも思っていました。学生たちや友人たちに話したこともあります。と、思っていたところに朝日新聞の募集があったのです。

 すぐに応募し、長崎弁が分かり、土地勘があるし、土地の名前などもすぐに分かるから、長崎の被爆者の語りの訳をやりたいと申し出ました。

 日本語を英語に私が訳し、アメリカ人の夫がその英語をチェックします。クロスチェックと言って、他の方の英訳をお互いにチェックし直すこともします。朝日新聞からは自分たちが訳したものの権利はすべて放棄し、すべての著作権は朝日新聞にあるという条件付きでした。もちろん私は文句ありません。英語だけですが、日本の外の人たちがそれを読めるという事は私にとってとても意味があることです。

 朝日新聞は第2課題として「ナガサキノート」というものも出しました。それも被爆者の語りです。これは日本語の2冊の続編)にもなっています。

 余談ですが、2014年3月に長崎に帰省した際も原爆資料館、その屋上にある(訳したので知っていた)新しくできた二人の少女の像などを見て回り、ふと、この像ができるようにした語り部に会いたいと思いました。でも友人や家族との約束がいっぱいでできませんでした。そして後になって、その語り部が翌月に亡くなったと新聞で知りました。あー、会っておけばよかった。

 でも、少なくとも彼の語りは英語になっています。

 Memories of Hiroshima and Nagasaki -- Messages from Hibakusha
http://www.asahi.com/hibakusha/english/
 広島・長崎の記憶~被爆者からのメッセージ
http://www.asahi.com/hibakusha/

 Special Thanks:List of Contributing Volunteers
http://www.asahi.com/hibakusha/english/thanks/

 草野先生の執筆記事と松添博さんの語り(朝日新聞)
http://www.asahi.com/hibakusha/english/shimen/nagasakinote/note01-02e.html(英語)
 日本語版は以下です。
http://www.asahi.com/hibakusha/shimen/nagasakinote/note01-02.html

 松添博さんの書かれた絵本(1992年刊)
ふりそでの少女』汐文社

松添博さんは、2014年4月、83歳で亡くなられました。
  • 松添博- sogi.jp
  • 長崎の被爆者・松添博さん死去「ふりそでの少女」描く(朝日、2014/4/13記事)
  • 長崎)松添博さんに仲間ら惜しむ声(朝日、2014/4/15記事)
  • 天声人語(朝日、2014/4/16記事)
  • (惜別)松添博さん(朝日、2014/4/26記事)
  • (悼む)松添博さん(毎日、2014/6/23記事)

2016/08/02

「知ったかぶりシェイクスピア」5つのステップ


 もう一つのシェークスピア記事です(一部、前回記事と重なります)

 「ひとごろし(1564)、いろいろ(1616)」という語呂合わせで年を覚えても何の役にも立ちませんが、今年はシェイクスピア(1564-1616)の没後400年なので、世界中で記念行事やら記念公演、あるいは記念作品があふれています。

 そこで、せっかくなので、この夏はシェイクスピアに触れてみてはどうでしょうか ?

 とかく「難しそう」と思われがちですが、雑談のネタのひとつとして「知ったかぶりシェイクスピア」を目指して楽しんでみませんか。あくまで「知ったかぶり」ですから、あまり難しく考えないことが一番です。

 1. シェイクスピアは読んではダメ?!

 シェイクスピアはお芝居なので、戯曲を読み慣れていないと、登場人物の名前とセリフしかないので、「分からない!」と放り出したくなってもしかたがないのです。

 我慢して読んでも楽しいはずがない。ということで、まずは、映画や舞台のDVDからシェイクスピアにアプローチします。近所のお店へDVDを借りに行きましょう。

 2. 日本語か英語か、それは問題ではない?!

 イギリスの大作家シェイクスピアなのだから……という発想は捨てましょう。

 字幕を読むのに慣れていないなら、日本語の舞台のDVD、英語なら吹き替え版を探せばよいのです。

 比較的手に入りやすいのが、最近亡くなった蜷川幸雄氏演出の「彩の国シェイクスピア・シリーズ」でしょう。シェイクスピアの有名な作品ならば、たいていDVDになっています。「ロミオとジュリエット」や「夏の夜の夢」、「マクベス」に「ハムレット』も、聞いたことある作品、気になっていた作品を、まずは一つ選んで観てみましょう。

 「世界のニナガワ」と呼ばれた演出家の作品をちょっとでも観ておくのは、話のネタとしても意味があるはず。

 ただし、何を観るか、作品だけで決めないで、だれが出ているのかも要チェックです。テレビでもよく見る俳優さん、ベテランからイケメン、素敵な人気女優さんまで、「こんな人も出てるんだ!」と驚くかもしれません。

 「面白そう」を基準に選びましょう。

 3. つまらないのは誰のせい??

 どうしよう、始まって30分で眠くなってきた! でも大丈夫。ちゃんと面白そうなものを選んだのに、楽しめないことはよくあります。自分を責めず、作品も責めない。相性の問題かもしれません。あきらめず、別の作品を観てみて、楽しめればそれでよし。

 「シェイクスピアって意外と面白い」と思えたら、ほかの作品も観てみる。あるいは、DVDで観た作品を、こんどは翻訳で読んでみてもよいでしょう。《もし、そんな風に思えない場合は、4は飛ばして5に進みましょう》

 4. シェイクスピアがいっぱい?!

 シェイクスピアを観たら面白かったから読んでみよう、と意気込んで本屋さんに行くと、シェイクスピアの同じ作品がいくつもあったりします。どれを読めば良い? と悩んでしまいます。そんな時は、DVDで観た舞台で使っていた翻訳で読むと、「あっ、このセリフ聞いたことがある」という楽しみ方もできます。

 最近は河合祥一郎訳か松岡和子訳が多いようです。この二人には、翻訳以外に、シェイクスピアの面白さや裏話を読みやすく書いた本もありますので、少しレベルの高い「知ったかぶり」を目指すならばおすすめです(作品を読まなくても楽しめるところが、特にお薦めかもしれません)

 ちなみに、「マクベス」が一番短い作品です。魔女も出てくる「マクベス」は、シェイクスピア初心者には「夏の夜の夢」や「ロミオとジュリエット」とならんでお薦めです。

・松岡和子氏の翻訳とシェイクスピア本
マクベス(ちくま文庫)
「もの」で読む 入門シェイクスピア(ちくま文庫)
『深読みシェイクスピア』新潮文庫/新潮選書

・河合祥一郎氏の翻訳とシェイクスピア本
新訳 夏の夜の夢(角川文庫など)
こんなに面白かったシェイクスピア(PHP文庫)
あらすじで読むシェイクスピア全作品(祥伝社新書)

 5. とにかくシェイクスピアで楽しみたい?!

 没後400年だし、絶対シェイクスピアに触れてみたい、でも楽しめないかもしれないあなたに、ぜひともお薦めなのが、宮藤官九郎脚本のヘビメタ版「メタルマクベス」、すべてを女優が演じる劇団「柿食う客」の「女体シェイクスピア」シリーズ、そして、以前テレビで放送していたAAAの「未来世紀 シェイクスピア」シリーズです。

 どれもDVDで観られます。今まで思っていたシェイクスピアのイメージを根底から変えてくれる魅力的作品ばかりです。

 この8月には吉祥寺と大阪で、女体シェイクスピアの新作「艶情☆夏の夜の夢」が上演されます。これを機に、シェイクスピアの舞台に触れてみるのはどうでしょうか。ひょっとすると、あなたの運命を変える出会いが待っているかもしれません。

・「メタルマクベス
・「悩殺ハムレット
・「未来世紀 シェイクスピア
(南 隆太)