学問のミカタ & 新任教員紹介vol.3 小林誠さん
こんにちは。新任教員の小林誠です。専門は文化人類学です。文化人類学という学問は異文化の「ものの見方」を明らかにすることがその重要な目的の一つです。そして、文化人類学者は異文化の「ものの見方」を知るために、実際に現地に行って色々と見聞きするフィールドワークというのを行います。フィールドワークはとても楽しいのですが、なかなか思った通りにはいきません。むしろ、思った通りにいかないからこそ、やる意味があるのかもしれません。自己紹介も兼ねて、私が異文化の「ものの見方」をどのようにフィールドワークしてきたのかをお話ししたいと思います。
私がフィールドワークを行なったのは、南太平洋の小さな島国、ツバルです。ツバルは、気候変動に「沈む島」としてメディアを賑わせていたこともあったので、聞いたことのある人も多いと思います。気候変動によって世界中の様々な地域で影響が出ると考えられていますが、ツバルのような海抜数メートルほどしかない太平洋の島国にとって死活問題なのが海面上昇です。気温が上昇すると、極地の氷が溶け、あるいは海水温が高くなることで膨張し、世界の海面が上昇すると予測されています。
私は2年間、ツバルに行ってきました。もともと自然や環境問題に興味があったので、気候変動に「沈む島」をこの目で見て、人々がそれをどのようにとらえているのかを知りたかったからです。辺境好きの人類学者の癖かもしれませんが、ツバルの中でも首都が置かれるフナフティ環礁ではなく、人口600人ほどのナヌメア環礁という離島に主に滞在しました。そして、人々の「ものの見方」を知るために、一生懸命、ツバル語を勉強しました。ようやく少し話せるようになると、気候変動に関していろいろ質問してみました。
そうしたら、意外なことがわかりました。多くの人々が海面は上昇していない、あるいは今後も上昇することはない、ととらえていたのです。私がこの調査をしたのは2006年で、今年の3月に行った時には状況はかなり異なっていましたが、当時のツバル、それも離島に住む人々の多くにとって、気候変動はさほど身近な問題ではありませんでした。結局、その後、気候変動を信じる/信じないメカニズムや、「環境難民」の実態についての論文を書くことができましたが、気候変動についての調査は暗礁に乗り上げてしまいます。人々がそんなに興味・関心を持っていなかったので、質問をしても漠然とした答えしか返ってきませんでした。調査は何か暖簾に腕押しという感じで、結局、表面的なことしかわからなかったのです。
困った私は、ツバルにいる間、何かほかにできることはないかと、手当たり次第にいろいろなテーマに手を出しました。その中で特に手応えを感じたものが首長制でした。ツバルには選挙で選ばれた国会議員などがいますが、島の中では伝統的なやり方で選ばれた首長という存在が重要な役割を果たしています。首長制はツバルの大切な伝統として、とりわけ男性たちにとっては興味・関心の的でした。話を聞くと、各々に一家言あり、調査をしていてとても楽しかったのを覚えています。そういうこともあり、気候変動についての調査は一時中断し、首長制についての調査を進めていきました。しかし、そうしたら意外なことがわかりました。
なんと、全然関係ないと思っていたのですが、首長制は天候や周りの自然環境、そして島の豊穣性と関連していることがわかったのです。もう少し丁寧に説明すると、マナという超自然的な力が備わっている者が首長になると、島が天候に恵まれ、作物が実を結び、魚がたくさん取れるというのです。そのため、雨が降らない、水不足でココナツの実りが悪い、漁に出ても魚が獲れない、さらには何か災害が起きた時、人々が何をするかというと、首長を退位させるのです。あるいは、責任を感じて首長が自らその役割から降りることもあります。そして、人々はマナがあると考えられる者を新しい首長として即位させます。実際に私が滞在していた時も干ばつが続いたため首長が交代しましたが、その直後に(偶然かもしれませんが、)雨が降ってきました。島の人々はこれが首長のマナだと説明していました。ツバルの人たちは首長を島とある種、同一視しているのだと考えられます。そのため、反対に首長が転ぶと島に災いがもたらされるともいわれています。
ツバルの人々は科学も知っていますが、天候や自然環境が望ましくない状態になると、首長のマナという超自然的な力でなんとかしようとします。こういう話をすると、どこか遠い国の不思議な習慣だなと思う人もいるかもしれませんが、実は似たようなことは日本でも行われています。私たちも、科学についてある程度は知っていますが、それでも科学的には何も意味もない、てるてる坊主をつくったことがある人も多いでしょう。また、日本には雨男や雨女と呼ばれる人たちがいて、彼らと一緒に出かけると雨が降る、などと考えられています。また、日本各地で五穀豊穣の祈願祭も行れていますし、神社で災害が起きないようにとお祈りをしたりする人もいるかと思います。もちろん、そんなの本気で信じていないと言う人もいるかもしれませんが、ひょっとしたら、と思う人も多いでしょう。
干ばつになったり大雨が続いたり、豊漁になったり不漁になったり、あるいは時に予期せぬ災害が起きたり、自然というのは時に人智を超えた振る舞いをみせます。しかし、人間はこうしたよくわからないものを何とかコントロールしようとします。そして、それは時に科学的ではないかたちをとります。何か好ましくないことが起きた時、ツバルの人たちが首長を交代するのも、私たちが神社に行ってお祈りするのも、あるいは雨男や雨女を警戒するのも、誤解を恐れずに言えば、同じくらい非科学的だといえるでしょう。しかし、どちらも、不確実な自然をなんとかしようとする人間の営みなのではないかと思います。そう考えると、ツバルの人たちの考えることは私たちの考えることとそんなに違ったものではないでしょう。
残念ながら、ツバルの人々が気候変動を首長のマナによってどのように解釈しているのかまではわかりませんでしたが、こうして、私はまた自然環境に関する問題へと戻ってきました。気候変動だけについてツバルの人々に聞いていたらこうしたことには気付かなかったでしょう。回り道をした分だけ、身近な自然環境についてのツバルの人々の「ものの見方」を少しだけ理解できたのではないかと思います。異文化というのは自分の常識が通用しないということなので、事前に考えた通りではうまくいかないことも多いのです。うまくいかない時には、別のことをしてみると道が開けることもあります。また、異文化を知るという、ある意味、回り道をしてみると、自文化のことについても意外なことに気づくことができることもあります。これも異文化の「ものの見方」をフィールドワークすることの醍醐味かもしれません。
フィールドワーク中の若かりし頃の私1(海面上昇の認識に関する調査をしている頃)
フィールドワーク中の若かりし頃の私2(饗宴に参加)
伝統的作物の一つであるタロイモ
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